2014年9月9日火曜日

『横型』のみなさんへ


(『縦型』『横型』というのは、津留さんが使っていた用語です。
 「『縦型』の人」とは、自分が思ったこと、感じたことを、
  ストレートに、外に向かって、表現する人。
 「『横型』の人」とは、それとは反対に、
  それらを表現できず、飲み込んでしまうタイプの人のことです。)



『横型』のみなさん

日々、
おつかれさまです。

みなさんにとっては、
おそらく、
 「生きる」
ということ、

ただ、
それ自体が、

たいへんな、
ご苦労であり、

たいへんな、
 『大仕事』
だと、思います。

 「どうして、『生きる』というのは、こんなにも、辛いんだ」
 「なぜ、こんなにも、生きていくのは、たいへんなんだ」
 「この世界は、どうして、こうも、『生きづらい』んだ」

そんな想いを胸に、
日々、
ただ、懸命に、
生きておいでのことと、思います。

 「生を送ること」
 「人間として生きること」
そのものの意味すら、よく分からず、
悩み、苦しまれながら、

でも、
とにかく、
日々、
生を繋いでおいでのことと、思います。

こころより、
お見舞い申し上げます。


『縦型』の人々は、
自分の感じた「不快さ」を、
ただ、そのままに、
『外なる世界』にぶつけることによって、
自らを、保っています。

津留さんが、
 「自分の中に湧き起こった、ネガティブなエネルギーを、
  そのまま、外に出すことによって、
  自らのバランスを取っている、保っている」
と言ったとおり、

『縦型』の人たちは、
自らの中の、ネガティブなエネルギーを、
ただ、そのままに、
自分の中から取り出し、

そして、
そのままに、
『外なる世界』に、排出します。

自らの感じた「不快さ」を、
他人に、物に、
そのまま、ぶつけます。

たとえば、
ある人に、
『怒り』を感じれば、
それを、そのまま、『怒り』として、
その人に、ぶつけ返します。

あるいは、
関係のない他人に、物に、
それを、ぶつけます。

 「八つ当たり」
 「憂さ晴らし」
などと呼ばれる行為です。


このような、
『縦型』の人々が、ばらまく、
ネガティブなエネルギーを、

懸命に、
己を犠牲にして、
収拾をつけていらっしゃるのが、
『横型』のみなさんです。

みなさんが、
いつも、
耐え、忍び、堪(こら)え、抑え、我慢し、
懸命に、
収め、バランスを取っておいでだからこそ、

そこで「ぶつけ出されてきた」ネガティブなエネルギーが、
人々の間を、
外なる世界の中を、
グルグルと循環し、
ぶつけ合いの応酬となるのを、
抑えて、止めているのです。

みなさんが、
そのエネルギーを飲み込み、
腹に収め、
懸命に押さえ込んでいるからこそ、

その場が、
「修羅場」とならずに済んでいるのです。
『感情のカオス』とならずに済んでいるのです。
『戦場』とならずに済んでいるのです。

みなさんの我慢があって、
はじめて、
みなさんの周りに、安定が生じているのです。

みなさんの辛抱によって、
はじめて、
この世界が、均衡を保てているのです。

その『任務』に、
その『激務』に、
こころからの賞賛と、感謝を、
ここに、贈ります。


『縦型』の人々も、
彼らは、彼らなりに、
とても辛い想いを、しています。

津留さんが、『唯一の法則』と言っていたとおり、
 「与えたものを、受け取る」
のです。

 「ネガティブなエネルギー」
を、『外なる世界』に投げ出せば、
その人は、
それを、また、受け取ります。

しかも、彼らは、
 「ネガティブなエネルギーを、そのまま出す」
以外に、方法を知らないのです。

だから、
いつまでも、
 「ネガティブなエネルギーを出し、ネガティブなエネルギーを受け取り、
  そして、それをまた、外にぶつけ出し ... 」
という循環から、抜け出せません。

怒っている人は、
いつまでも、怒ったままです。
『怒り』から、離れられません。

非難する人は、
いつまでも、非難したままです。

それはそれで、
とても辛い、とても苦しい、そして、とても悲しい
ことです。

それに、
津留さんが、よく言っていたように、
彼らが居て、はじめて、
『横型』の人々が、
『横型』としての体験を、できるのです。

『大我』の視点に立てば、
彼らは、ただ、
その役柄を、演じてくれているだけです。
それを、担当しているだけです。
それを、選択しているだけです。


ただ、
もちろん、
だからといって、
そのようなことを、『頭』で理解して、
 「ならば、しょうがない」
 「であれば、我慢せねば」
などと思う必要はありません。


では、
どうしたらよいのでしょうか?


みなさんは、
今と、何一つ、変わる必要はありません。

今のまま、
そのまま、
『横型』で居てください。

これからも、
みなさんの周りの世界の『安定』『均衡』『平和』の、
『要』となっていてください。

これからも、
みなさんが、
陰の、縁の下の、
『平和の礎』で、居続けてください。

みなさんによって、
みなさんの周りの世界を、成り立たせてください。

そして、
みなさんの周りの『縦型』の人々を、
『縦型』のままで、
居させてあげてください。

それらの人々に、
そうできる自由を、機会を、
みなさんが、
与えてあげてください。


ただ、
みなさんは、
もう、これ以上、
『苦しむ』必要は、ありません。

苦しみながら、
『横型』を、
その役割を、
果たす必要は、ありません。

苦しまなければ、
そうできないわけでは、ないのです。


そのために、
なすべきことは、
ただ、一つ。

いままで、
 『飲み込んできた』
 『押さえ込んできた』
 『腹に収めてきた』、

 「辛かった想い」
 「苦しかった想い」
 「悲しかった想い」
を、

その『記憶』を、
そのエネルギーを、

ただ、
流してあげてください。

手放してあげてください。

解放してあげてください。

そして、
許してあげてください、

そのエネルギーを。
その『記憶』を。

そうせざるを得なかった、過去の自分を。

そうしなければ、生き延びることさえできなかった、
過去のご自分のことを ...


そうすれば、
いままでと同じことを、

ただ、
行うことができます。

淡々と、
することができます。

痛み無しに、
苦しさ無しに、
悲しさ無しに、
怖さ無しに、

ただ、
行うことができます。


そして、
そのときには、

「被害者だ」と、
「弱い者だ」と、
「だめなやつだ」と、
「情けない者だ」と、
そう、
見なしてきた、認識してきた、信じてきた、
ご自分が、

実は、
強くて、
優しくて、
愛にあふれ、
犠牲さえ、いとわない、
『真の勇者』であったことに、
気づかれるでしょう。

そのときには、
ご自分が、
地上にもたらされた、
『平和の天使』であったことを、
思い出されていることでしょう。