2017年11月26日日曜日

「どちらも」は、ありえない って、決めつけてませんか?

 
 今回の、大阪イベントの往復には、
 飛行機を利用しました。
 
 往路は、
 久しぶりに、窓側の席に当たり、
 天候も、晴れ。
 しかも、昼間の時間帯だったため、
 
 いくつか、
 記憶に残る光景を目にすることができました。
 
 
 まず、富士山。
 
 雪を抱き、
 雲も纏(まと)い、
 ある意味、とても富士山らしいお姿を、
 
 ほぼ真上から、
 拝ませていただけました。



 座席が、窓側とはいえ、
 右側だと分かったとき、
 
  「あぁ、せっかくの窓席だけど、
   富士山は、ダメだな」
 
 と、残念に思いました。
 
 よく利用する、その航空会社の航路では、
 富士山は、いつも、飛行機の左側に、見えるからです。
 
 離陸後、
 千葉上空、
 続いて、東京上空を滑空し、


 順調に、
 神奈川、そして静岡に、入って行きます。
 
 眼下に、山中湖が見えたときには、
 
  「あぁ、やっぱり、ダメだな。
   いつもよりは、北側を通ってくれているけど、
   でも、この感じだと、こちら側の窓からは、見えないな ... 」
 
 そう、思っていると、
 
 機体が、突然、
 わずかに、左に旋回しました。
 
  「えっ ... 」
 
 そのタイミング、その方向に、
 ビックリしました。
 
 案の定、
 そのおかげで、
 見えていた富士山麓の範囲が、増大していきます。
 
 徐々に、
 白い山肌が、左方向から、流れてきました。
 
 結果。
 
 富士山を、
 そのお釜が覗けるくらい、真上から、
 拝ませていただけました。
 
 写真を撮りつつも、
 その光景を凝視し、
 脳裏に焼き付けました。
 
 
 その後、
 飛行機は、順調に、航路を消化していきます。
 
 ついに、
 和歌山上空にまで達し、
 紀の川、さらには和歌山城も、目視できました。
 
  「このあたりで、右旋回して、北に向かい、
   もうすぐ、着陸だな」
 
 遠方ながら、関空も見えており、
 これまでの体験から、
 そう、思っていると、
 
 飛行機は、
 いつまでたっても、直進を止めません。
 
 紀伊水道に入っても、
 淡路島が見えてきても、
 西行を止めません。
 
 ついには、
 淡路島の中程にまで、入り込んで行きます。
 
  「いやいや、そこまで行って、大丈夫なの?
   いや、この飛行機って、九州行きだったっけ?」
 
 そんな愚かしいことを、
 一部で、本気に、心配する気持ちが湧きはじめたころ、
 
 ようやく、
 機体が、右旋回をはじめました。
 
 その時です。
 
 この映像が、肉眼に、飛び込んで来ました。
 
 2015年、沖縄からの帰路 以来の、
 機体ブロッケンです。


 
 高度を下げつつ、淡路島上空に入って、
 そこではじめて、機体が雲が近づき、
 
 そのうえに、
 機体を旋回して、角度が変わり、
 
 そこではじめて、
 僕の席から、窓から、
 見ることができた、現象でした。
 
 
 その後、
 若干東よりに北上した飛行機は、
 神戸上空にまで進み、
 僕の席からも、大阪市街を、眺めることができました。
 
 そして、
 最後にもう一度、右旋回したときには、
 このように、黄金に光輝く大阪湾を、見せてくれました。


 
 
 事後、振り返って見れば、
 すべては、『僕のために』に、
 整えられ、与えられたことでした。
 
  窓席があてがわれたこと。
  
  それが、右側であったこと。
 
  富士山手前での、航路の微調整。
 
  淡路島への、直進。
 
  神戸・大阪までの、北上・大回り。
 
 でも、結果を知らない僕は、
 事前には、
 それらの出来事・展開を、
 不満に思い、あるいは、心配すらしていました。
 
 もたらされる結果が、
 予想すらしていない、最高のものであるにもかかわらず ...
 
 
 これまで、自分が体験してきたこと、
 これまで、自分が認識してきたこと、判断・評価してきたこと、
 
 そこにおける、事の成り立ちのカラクリを、
 見せつけられた気がしました。
 
 
 さて、
 大阪でのイベントを、
 おかげさまで、すべて、無事に、終えた後。
 
 来年から、もう一つの、新たな仕事となる、
 「うさと服」の販売
 
 その、本拠地である、京都を、訪れ、
 うさとのお店を覗いて、うさと服についての勉強をしてきました。
  
 営業時間以外には、
 「美的感覚」そのものを養おうと、補おうと、
 
 京都の町を散策したり、美術館を訪れたりできて、
 充実した時間を過ごすことができました。
 
 
 11月中旬の、秋の京都は、
 紅葉真っ盛りでした。
 
 樹々の様子、山々の色づき、
 庭園の佇まいなど、
 
 感じることが多く、
 学びとるべきことに溢れていました。


 
 そんな中。
 
 訪れた二カ所で、
 このような光景を目にしました。




 
 これまでにも、
 「桜の狂い咲き」は、何度か、
 いえ、何度も、目にしてきましたが、
 
 このときのように、
 楓などの紅葉と併置された様子を見たのは、
 はじめてでした。
 
 それらを目にして、
 地球から、このように言われているように、
 思うことがありました。
 
  「どちらか」しかない って、思っていませんか?
  「どちらも」は、ありえない って、決めつけてませんか?
 
 
 また、その後には、
 このような光景にも、出会いました。



 アオサギに、野生の大型の鳥に(カラスを除く)、
 このようにまで、近づくことができたのは、はじめてでしたし、
 
 そのアオサギの視線の先には、
 「鳥の天敵」とも言うべき猫が、しかも数匹、
 くつろいで、存在している光景も、はじめてでしたし、
 
 両者が、
 (多少の警戒感を持ちつつも)敵対的・対立的でなく、
 共存している光景も、はじめてでした。
 
 何か、
 「自分が知っているプログラム」とは、異なるプログラムに基づいた映像が、
 上映され、見せられている気がしました。
 
 「自分が慣れ親しんで来た地球・日本」とは、かなり違う場所に、
 ワープし、存在させられている気がしました。 
 
 
  これまでは、どうであったとしても、
  これまでの、ありようは、どうであったにせよ、
 
  これからは、「どちらも」を、選択できますよ。
 「どちらも」を、選択してもいいんですよ。
 
  いままでを、引きずらなくていいんですよ。
  
  そして、すべては、あなたの選択次第ですよ。
 
 そう、
 地球から言われているように、
 感じました。