2017年11月9日木曜日

「委ねられない」なんて、すごい!


先週でしたか、
いつものように、
何かを、懸命にしていました。

『現実』問題として、
僕が、それをしないと、
「それ」は、形になりません。

僕が、「しない」と、
それは、「現れません」。
「存在しません」。

だから、僕は、
何の違和感も無く、当然のこととして、
それを、していました。


しかも、そのときには、
それが、上手くできていないと、
望んだ結果が得られないと、思っていました。

だから、少しでも、上手くできるように、
懸命になって、作業をしていました。

上手く出来上がれば、
望んだ結果に、近づくと、

上手く出来上がらなければ、
望んだ結果とは、離れてしまうと、

心から、思っていたからです。


そこで、突然、
ふと、
このように、思いました。


  あれ、僕は、
 「自分がしないと、上手く行かない」って、心から、思い込んでいるんだな。
  そんな風に、思い込めているなんて、
  それって、逆に、すごいな!
 
 「自分がしている」って、思い込めているなんて、僕、すごい!
 
 「委ねられていない」なんて、僕、すごい!


これまでは、
「『委ねられていない』自分」が、当然で、
「『委ねられていない』自分」が、基点で、

そこから、
「委ねる」方向へ、進んでいく、進んでいこう、
と、

無意識のうちに、
その方向にだけ、意識が向いていたわけですが、

そのときは、
人生ではじめて、

「『委ねている』自分」の視点から、
「『委ねられていない』自分」を見て、

そんな自分に成れていることに、
そんな自分に成り切れていることに、

感心する感覚を、感じました。


私たちは、
「委ねている」人を、見て、
「委ねられている」人のことを、聞いて、

その人たちのことを、「すごい!」と、
無条件に、感心しますが、

考えてみたら(改めて認識してみると)、
「委ねられていない」って、
それもまた、同様に、すごいことですよね。

だって、
「自分は、人間だ」と、
「自分がしないと、どうにもならない」って、
100%、思い込めているわけですから ...


何きっかけで、そのように思ったのか、感じたのか、
よく、覚えていないし、認識できていないのですが、

そんなことを、
僕の人生では、はじめて、感じました。


僕は、
めでたく、
望みどおりに、
「『人間』に成り切れている」のだと、
そう、分かりました。