2016年12月15日木曜日
2016アメリカ旅行31 サンフランシスコを前に
マウントシャスタに、お別れを告げ、
シャスタを後にした、
僕たちは、
一路、ひたすら、
南に、下り続けました。
当初の予定より、
大幅に、遅れたことで、
正直、すこし、焦っていましたが、
ストーニーブルックインでの、
すさなさんへの、ご挨拶と、
マクラウドでの、
マウントシャスタへの、ご挨拶とで、
すっかり、
気持ちを、すっきりさせ、
また、マウントシャスタへの想いを、
ある程度、吹っ切ることができたので、
焦りつつも、
気持ちは、落ち着いていました。
今日の行程を、
じっくりと、楽しみ、味わう、
準備ができていました。
往きには、苦労した、登り坂も、
スムースに、下り ^^; 、
シャスタレイクを、渡り、
レディングの町を、突き抜け、
一路、快調に、
南下し続けました。
マウントシャスタは、
バックミラー越しに、
いつまでもいつまでも、見えていました。
気持ちが、吹っ切れたことに、
反比例するかのように、
どこまでも、姿を現し続けてくれました。
しかし、
やがては、ミラーにも、映らなくなり、
ようやく、意識は、
完全に、前方に向かいました。
この日も、変わらず、
朝から、午前中から、
強い陽射しと、確かな高温を、
僕たちの世界に、顕現してくれていました。
往きに通って、
その先の様子が、分かっているにもかかわらず、
「果たして、終わりがあるのだろうか?」と、
思わず、思ってしまうほどの、
広大な、農業地帯・穀倉地帯を、
延々と、進み続け、
ようやく、
サクラメントまで、戻り着きました。
でも、
その手前で、トイレ休憩をしていたので、
今回も、そのまま、通過。
さらに、南下を続けます。
そこから先は、
はじめて通る道でした。
その先も、
「北カリフォルニア」が、
さらにさらに、広がっていました。
基本、乾燥していながらも、
確実に、緑があり、
常に、「何か」が、生産されていました。
南カリフォルニアは、
僕が目にした範囲では、乾燥が強すぎるようで、
すこし、様子が、異なりましたが、
サンフランシスコに着くまでの間は、
基本、
そんな光景が、ずっと、続いていました。
日本とは、異色の、
僕にとっては、ニュージーランドと似た種類の、
「豊かさ」を、感じさせてくれました。
「興奮」と「安らぎ」が、
不思議と、違和感無く、
同居していました。
徐々に、人の営みが濃くなり、
車だけでなく、家も、多くなってきて、
町の間隔が狭くなり、
商業施設だけでなく、
娯楽施設なども、目につくようになり、
「都市」が近づいていることが、
明らかとなってきました。
高速道路5号線を、
右折して、他線に換えると、
モーターレースがあるとのことで、
渋滞に、はまりました。
確実に、
人の気配、生活の気配が、
濃密になりました。
シャスタが、確実に、
遠くなったとともに、
サンフランシスコが、
近づいていました。
「期待を込めた、頭での計算」による予定よりは、
時間がかかりましたが、
でも、ほぼ、「想定内・計画通り」に、
昼過ぎに、
サンフランシスコの北岸の、
サンラファエル( San Rafael )という町に、
到着しました。
サンフランシスコからすると、
「ゴールデンゲートブリッジ」を渡った先に、
この町がある、
という、位置関係で、
今回の、僕らの行程からすると、
まだ、「サンフランシスコの手前」になります。
ここに、立ち寄りたい店がありました。
" Good Earth " という、
オーガニックの食品・商品を扱う、
スーパーです。
滝沢泰平さんが紹介されていた 記事 を読んで、
行ってみたいと、思っていました。
まず、
サンラファエルの町が、
とても素敵でした。
町そのものが、
とても、こじんまりとしていて、
大きな、高い、ビルなどは無く、
小さな商店が、肩を並べて、仲良さそうに、並んでいて、
街路樹が、ずっと、濃く、植えられていました。
しかも、
サンフランシスコからは、
橋を隔てたところにあるからか、
日曜日のお昼にも関わらず、
それほど、込み入ってはいませんでした。
心地よく生活できそうな町だと、
感じました。
お目当ての店も、
期待どおりに、
いえ、想像以上に、
素敵でした。
まず、入り口、入ってすぐに、
オーガニックの、果物と野菜が、
ビッチリと、並べられていました。
その、種類の多さ、
新鮮さ、力強さ、
彩りの豊富さに、
圧倒されました。
ナッツ類も、
種類豊富に揃えられていて、
量り売りされていて、
横にある機械を使えば、
このお兄さんのように、
自分で、「ピーナッツクリーム」を作ることもできました。
ビールや、ワインをはじめとする、飲料も、
みな、オーガニックなものばかり。
多彩な顔ぶれ。
そして、ここにも、
デリコーナーがあり、
お惣菜や、デザートも、売られていました。
僕は、
ここでは、特に、
この、パンたちに、とても惹かれました。
そこで、
これは、当初の予定通りなのですが、
ここで、食材を購入して、
移動の後、
外で、この日のランチを食べることにしました。
みな、希望どおり、大満足の、
食材食料調達が、できました。
移動先は、
お店から、
車で、30分ほど。
まず、
すこし、南に、サンフランシスコ方面に進み、
そこから、西に曲がり、
ひたすら、山道を登ります。
右に左に、くねくねと、曲がりながら、
はじめは、レッドウッドの、高い樹々の間を抜け、
そのうちに開ける、その道を、
高度にして、700mほど、上がり続けます。
すると、
見晴らしの良い、展望所に着きます。
タマルパイス山( Mt. Tamalpais )山頂です。
ここからは、
サンフランシスコ方面、サンフランシスコ北岸、
そして、太平洋が、
一望できます。
こちらも、
滝沢泰平さんの ブログ に紹介されていて、
ぜひ行ってみたいと、思っていた場所です。
相変わらずの、好天の中、
気持ちよく、ここまで、たどり着き、
上機嫌で、車を降りました。
景色を眺めるために、
一歩、高いところに上り、
そこで、
その事実に、はじめて気づき、
ビックリしてしまいました。
この旅行中、
はじめてのことを、目にしたのです。
雲です。
サンフランシスコ方面は、
びっしりと、一面の雲に覆われていました。
アメリカで、
はじめて出会う、大量の雲。
しかも、
そのせいで、サンフランシスコが、見渡せません。
ゴールデンゲートブリッジも、見えません。
はじめ、がっかりしました。
とても、がっかりしました。
でも、思えば、
「霧のサンフランシスコ」が、
雲で覆われている、という光景を望むのは、
何も、がっかりすることではないと、湧いてきました。
よく見ると、
一番近い、すぐ真下のところでは、
微妙に、海岸線と水面(太平洋)が見えていて、
それによって、
雲が、ものすごい量、ものすごい速さで、
サンフランシスコに向かって、流れ込んでいることが、
見て取れました。
分かりました。
そうすると、
それはそれで、
とても「らしい」光景を目にできたのだと、
好意的に、捉えることが、自然、できました。
すると、
アメリカに来て以来の、
これまで、ずっと続いてきた、
「圧倒的なまでの、好天」が、
「当然」ではなく、
ある種、とても恵まれた「偶然」であったことに、
改めて、気づき、
と、同時に、
しかし、同時に、
意味あって、そうあるべきだから、そうなされた、
「必然」でもあったのだ、
ということにも、気づかされました。
まず、
その「認識」に、圧倒されました。
そうすると、今度は、
もうしばらくして、あの雲の下に、入って行ったなら、
新しい状況に入って行くのだ
と、
ここまでが、ひとつの区切りなのだ
と、
感じました。
すると、
なにか、とても、ホッとしました。
そして、
その、素晴らしい眺めをも、おかずに、
「雲海」を含めての「素晴らしい」眺望をも、肴に、
ゆったりと、楽しく、
昼食をとることに、自然と、入って行けました。
さあ、
いよいよ、ランチです!
子どもたちは、
パスタや、カツ丼といった、お弁当を、買っていました。
それを、銘銘、食べました。
一方、
大人二人は、
チーズ、ワカモレ、
そして、オリーブとパプリカのマリネを、つまみに、
先ほどの、パンをメインとした、
「どうして、そこに、ワインが無いの?」
という、
ピクニックランチに、興じました。
パンは、バゲットと、
もうひとつ、
ライ麦などの粒がギッシリの、ドイツ系の、重いパン。
日本では、なかなか、出会えない、
僕が、最も好きなタイプのパンです。
それを、爽やかな、好天のもと、
眼下に、素晴らしい光景を眺めながら、
たっぷりと、味わうことができました。
人生における、最高のランチの一つ、
と、なりました。
パンは、
期待通りに、好みに合って、
それが、このランチで、いちばん、嬉しかったのですが、
チーズも、ワカモレも、
アメリカで口にした中で、一番のものでした。
そして、オリーブも、
特に、黒オリーブは、
今までの人生で、食べた中で、一番の、大粒で、
味も、しっかりと濃く、美味しくて、
とても、印象的でした。
地元のもの、とのことだったので、
このようなオリーブを生産できることは、
素晴らしいな、と、思いました。
その豊かさを、
すこし、羨みました。
中でも、一番大きな粒は、
最後に取っておいて、
そして、
ゆっくりと、味わって、食べました。
そのときです。
その身を、食べ終わり、
種を口から出すと、
その種が、
自然と、割れました。
これまで、
オリーブの種が割れたことは、
僕の人生においては、ありませんでした。
しっかりと、噛んでみた時でさえ、
割れたことは、一度も、ありませんでした。
それが、
口から出すと、
自然、割れました。
いままでの人生で、一番大きな、オリーブの種が、
いままでの人生で、はじめて、割れました。
その事実は、
僕にとっては、
ちょっとした、衝撃でした。
そのとき、
「割れたんだ」と、思いました。
「開けられたんだ」と、
「開かれたんだ」と、思いました。
そして、
これで「区切れた」と、
改めて、
思いました。
改めて、
ここまでが、「一区切り」なんだ
と、
思いました。
アメリカに来て以来、続いていた、
「何か」が、
これで、終わったんだ、区切れたんだ
と、
思いました。
そして、
それは、すなわち、
アメリカに来て以来の「何か」を、
ちゃんと、終えられたということ
だと、
その「何か」を、
無事に、成し遂げられたということ
だと、
だからこそ、区切れるのだ
と、
思いました。
無意識であったにせよ、気づいていなかったにせよ、
そして、それが「何」であるか、分からないにせよ、
するべき「何か」というものがあり、
そして、それを、ちゃんと、やり終えることができたのだ
と、
思いました。
アメリカに来た意味が、一つ、完了したんだ
と、
思いました。
僕にとっては、
今回のアメリカ旅行そのものが、
アメリカに来るということそのものが、
「起きてきた」わけですが、
それが、これで、ここで、一応、完了したのだ
と、
思いました。
さっき、ホッとした、
その理由が、分かりました。
さらに、続けて、
そのとき、
その「何か」というものが、
『何』なのか
分かった気がしました。
可能性ある「考え」が、
思い浮かびました。
それは、
シャスタにいるときに、
感じたことでした。
そう、認識してみると、
とても、幸せでした。
口にする、食べもの一つひとつが、
身体に、沁み込んでいきました。