2015年1月30日金曜日

冬場のお風呂


大寒の候、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

今日は、ここ、千葉県市川市でも、
雪が降り、寒い一日になりました。

そんな、寒さ厳しい、この時期は、
お風呂に入るのが、
ことのほか、気持ちいいですよね! ^^

一人暮らしをされていたり、
お仕事が忙しくて、帰宅が遅かったりする方は、
ふだん、あまり、
湯船につかったりは、しないかもしれませんが、

ですが、
もし、そんな機会がある場合には、
ぜひ、「その、気持ちよさ」を、
しっかりと、じっくりと、
感じ、味わってみてください。


「『感じる』という行為」は、
『考える』という行為と、対極にあるものであり、

「『感じる』という行為」の訓練は、
『思考』から離れ、『思考』を観察するうえで、
とても助けになります。

そして、また、
「『感じる』という行為」は、
『浄化』において、とても重要な手段であり、

「『感じる』という能力」は、
『浄化』のプロセスにおいて、とても助けになります。

ですから、
ふだんから、「『感じる』という行為」を、
意識をして、頻繁(ひんぱん)に、行っていただきたいのですが、

とくに、
お風呂に入るときには、湯船につかるときには、
ぜひ、「その、気持ちよさ」を、
じっくりと、しっかりと、深く、細かく、
感じ、観察してみてください。


僕の場合、
とくに、この寒い時期に、熱めのお湯に入ったときには、

最初、お湯の中に、身を浸した瞬間は、
動きが大きく、体表に感じる感覚が多くて、
感覚を、細かく、しっかりとは、感じ取ることができません。

ですが、そのあと、
身体を浴槽内に落ち着かせて、1秒か2秒たったとき、
そこで、怒濤のような気持ちよさが、
全身に、全身各所から、駆け巡り、駆け上がって来ます。

口からは、
 「あぁ〜〜〜〜」
 「気持ちい〜い〜っ!」
という声が、
思わず、無意識のうちに、漏れてしまっています ^^ 。

全身を包み込む、熱さ・温かさ。
液体がもたらす、ほどよい・ここちよい、圧力。
それらによって、身体が、細胞が、ゆるみ・伸びるような感覚 ...

それらを、しばし、感じていると、
続いて、意識は、手足の指先の、軽いしびれに、向かいます。

寒さによって、もたらされた、
軽く、細かい、そのしびれが、
お湯の熱さ・温かさによって、
徐々に、徐々に、細か〜く、淡〜く、薄〜くなって行き、
そして、さらに軽〜く、細か〜くなって、消滅していきます。

そして、そのときには、
全身が、完全に、くつろぎ、伸びきっています。

このあたりの、数秒間、
全身で、全霊で、
その、ここちよさ・気持ちよさを、感じています。

みなさんも、ぜひ、
そんな、気持ちのよさの感覚を、
しっかりと、じっくりと、
深く、かつ、細かく、
味わうように、なさってください。

できれば、それを、
習慣づけてみてください。


さて、
この、お風呂に入ったときに感じる、
この、「気持ちよさ」ですが、

あれって、
 とっても、細やかで、柔らかで、安らかで、
 しかも、濃密で、圧倒的な量、
では、ありませんか?

あの、圧倒的で、濃密で、包み込むような、
あの、「ここちよさ」を、
あの、「ここちよいと感じている『感覚』」そのものを、
できれば、
しっかりと、感じ入り、味わい、見つめみてください。

そうすると、
あの、怒濤のように押し寄せてくる、
大きな「ここちよさ」が、

実は、
「お湯に接している『肉体』そのものが感じている感覚」だけでは、ない、
と、
感じられるのではないか、と、思います。

僕が、感じるところによると、
むしろ、その『大部分』が、
「お湯によって『肉体』が感じている感覚そのもの」
では、ありません。

その感覚を、あえて、分析してみると、
僕には、その大部分が、
「お湯が、直接的にもたらした、肉体的感覚」では、ない、
と、感じられます。


 「では、そのここちよさは、何なのか?」
というと、

僕には、
おそらく、その、約6割〜7割方は、
 「『思考』が、完全に、停止していて、
  意識が、しっかりと、『いま、ここ』に、根を下ろしている」
ということから来る、
「気持ちのよさ」「ここちよさ」だと、感じられます。

僕は、
そう、認識しています。

というのは、
あの、ここちよさが、
『ハート』をしっかりと、感じ入れたときに感じる、
温かさ・安らぎ感に、とても、似ているからです。

また、
あの、ここちよさを、しばらく味わったら、
その、すぐ後に、
あえて、思考を働かせてみてください。
あえて、何か、考えごとをしてみてください。
思考に、入ってみてください。

すると、
みるみると、あっという間に、さ〜っと、
あのここちよさが、消えていくのが、感じられると、思います。

しかも、
肉体の、お湯に接している、体表部分の「ここちよさ」は、
減りはするものの、まだ、感じたまま、だと、思うのです。

あえて、説明すると、
そのようにしか、お伝えできないのですが、

なので、
あの、ここちよさは、

 「『思考』による、エネルギーの浪費が、完全に、止まり
  かつ、
  『いま、ここ』の、安らぎに、至福に、完全に、ひたっている」

ということによる、「ここちよさ」が、
その大部分を、占めているものと、
僕は、認識しています。


 「『思考』というものが、いかに、エネルギーを浪費しているか」
ということについての、僕の認識については、
すでに、
過去記事「思考によるエネルギーロス」にも、書きましたが、

 「そのような、『浪費』がなく、
  しかも、
  しっかりと、『いま、ここ』に、在れると、
  しっかりと、『いま、ここ』の感覚に浸れると、
  ここまでに、安らぎに、安心感に、包み込まれるんだ」

ということを、
感じ取ってもらえる、絶好の機会だと、思います。

ぜひ、
あの、気持ちよさを、ここちよさを、
じっくりと、しっかりと、深く、細かく、
感じ、味わってみてください。

ぜひ、
それを、習慣づけてみてください。


それから、

津留さんの時代から、いまにおいても、
『浄化』について、ご説明すると、

 「『浄化』によって、
  だんだんと、『感情の機微』を、感じなくなってくると、
  日常は、つまらなくなってくるのではないか?
  喜びは、感じられなくなってくるのではないか?」

という、ご質問を、受けることがあります。

『浄化』の途上である、僕は、
まだまだ、『ブロック』だらけの、僕は、
これに対する、『体験的』『経験的』な、お答えを、
持ち合わせては、いないのですが、

でも、
先ほどから、お伝えしている、
お風呂に入ったときに感じる、あの、ここちよさが、
充分に、ポジティヴで、
充分に、多い・大きい・強い感覚であると、感じられる、
ということからすると、

津留さんや、その他の覚者の方々が、説明されているとおり、
そのときには、

これまでの、
 「『2極』ゆえにもたらされる、『ポジティヴな感覚』」
とは、
それらとは、まったく、違った種類の、

穏やかで、安らかで、細やかで、でも、濃密で、包み込むような、
そんな、至福感が、
しかも、断続すること無く、途切れることなく、継続して、
感じられるのだと、思います。


そんなことを、
冬場のお風呂に浸かって、想っています。