2015年1月26日月曜日

慣性の法則


今回、名古屋でのイベントでは、
『浄化』について、
たくさん、お話しをさせていただきました。

浄化実践講習会や、個人セッションで、
『浄化』について、お話しさせていただくのは、
いつもどおり、なのですが、

今回は、津留さん交流会でも、
はじめてお会いする方々の前で、
いっぱい、『浄化』について、
概要をご説明し、ポイントなどをお伝えさせていただく、
そんな機会がありました。

そして、
それら、「『自分』が話しをしている」ことを、
改めて、「『自分』が聞く」、という過程をとおして、

それら、「浄化のポイント」などとして、お伝えしている内容を、
改めて、自分にも当てはめてみる、ということをとおして、

一つ、
再認識したことが、あります。

それは、
 「僕が、日常生活において感じている『ストレス』が、
  おかげさまで、ずいぶんと、少なくなっているんだ」
という、
個人的な『事実』です。


過去記事「ハート観察」でもお伝えしたとおり、
僕は、ふだん、
自分の「ハート」の状態に、意識を合わせ、
そこで、ストレスを感じているかどうか、を、見張るように、
心がけています。

そして、
ストレスを感じていることを、認識したら、
無理の無い範囲で、速やかに(基本的には、「即」)、
それを浄化するように、しています。

ところで、いま、
 「ストレスを感じている」
と、書きましたが、

おかげさまで、「見張る」という行為が、
ずいぶんと、習慣づいてきましたので、

最近では、
 「ストレスを『感じている』ということに、気づく」
というよりは、
 「ストレスを『感じはじめた』ということに、気づく」
ということが、ずいぶんと、できるようになってきましたし、
そんな機会が、ずいぶんと、多くなりました。

 「感じるストレスを、浄化する」
ということを、
ゆっくりですが、あせらずに、丹念に、行ってきた、
その結果だと、思います。

そのような状態になれていることを、
今回の、名古屋でのことを機会に、
改めて、認識したのですが、

で、さらに、
名古屋でのことをきっかけに、
 「自分の、ふだんの、状況・状態」
 「自分が、ふだん感じ(てい)る、ストレスの強さ」
そんなものを、
改めて、チェック・再確認してみたところ、

 自分の、ふだんの状態が
 ずいぶんと、穏やかで、落ち着いてきていて
 自分が、ふだん感じるストレスが
 充分に小さく、充分に少なくなっている

そう、認識するに、至りました。


正直に、正確に、言うと、
まだまだ、細かいストレスを、しょっちゅうしょっちゅう、感じていますし、
割に大きめの・強めのストレスも、まだまだ、感じる機会があるので ^^; 、

自分では、『頭』では、
そのような認識を、持ってはいませんでした。

でも、逆に言うと、
自分が、ふだん、常に、「ストレスチェック」「ストレス探し」をしていて、
小さな、細かいストレスにまで、気を向けていた、気づけていた、
『その結果』、
自分の状態を、「まだまだ」と認識していたのだ、
とも、言えると思います。

そして、もう一つ。
もう一つ、自分の状態を、ちゃんと認識できていなかった理由は、
 「自分は、常に常に、思考が動いていて、
  まだ、ぜんぜん、思考が止まっていない。思考から離れていない」
という、
僕の状態への、認識があります。

ストレス(の素である『エネルギーブロック』)が、
思考を、動かします。
思考を、働かせます。
頭に、考えさせます。

ですので、僕の場合には、
 「思考が、常に常に、動いている」
ということを、充分すぎるほど ^^; 、認識していたので、
 「その原因である、ストレス(『エネルギーブロック』)が、
  まだまだ、たっぷりあるはず」
と、自分の状態を、判断していました。

ところが、
改めて、自分の、ふだんの、ストレスの状態を感じてみると、
それは、もう、ずいぶんと、小さく、軽くなっていました。

改めて、感じてみると、
もう、『ふだんの自分』というは、
おかげさまで、
特には、困ってはいないし、苦しんではいないし、不快さを感じていないし、
もう、ずいぶんと、穏やかで、ゆったりしています。


で、
そのような、自分の状態に、気がついて、
それゆえに、気がついたこと。

それは、
ということは、
 「ストレス(『エネルギーブロック』)が、少なくなれば・無くなれば、
  自動的に、思考は止まる」
というわけでは、ない、ということです。

 「ストレス(『エネルギーブロック』)が、多いと・強いと、
  自動的に、思考が動きだす」
ということは、そう、そのとおりなのですが、

でも、その反対の、
 「ストレス(『エネルギーブロック』)が、少なくなれば・無くなれば、
  自動的に、思考は止まる」
というわけでは、ない、のですね。

少なくとも、
『僕の場合』は、そうではありませんでした。

実際、
「思考を止める」ということに、意識を向けてみると、
前よりも、容易に、
前よりも、長い時間、
思考を止めておけるように、なっていました。

ですので、
ストレス(『エネルギーブロック』)が、少なくなって、
思考が止まりやすい状況になっていることは、間違いない、
と、思うのですね。

それでも、
思考は、
「思考を止める」ということに意識を向け、
それを行為することによって、
はじめて、止まるんですね。

ということに、
今回、気づくことができました。


これは、まるで、
たとえば、
 「自転車を動かすには、ペダルを踏み漕がなければいけないけど、
  漕ぐのを止めただけだと、自転車は、そのまま進む。
  自転車を止めるには、ブレーキを掛けなければいけない」
というのと、
とても似ているなあと、感じました。

つまり、
思考にも、『慣性の法則』が、働いているんですね!

そして、
思考を止めるためには、
自転車でいえば、「ブレーキを掛ける」に相当する、
「思考を止めよう」とする、別の作業・行為が、必要なんですね。

津留さんが、
 「『外の世界』は、『こころの世界』が映し出されたのものなのだから、
  外の世界に関する『物理法則』は、
  こころの中の世界の『法則』そのままであり、その一部だ」
と言っていたことを、
改めて、思い出しました。

『慣性の法則』というのは、
そもそも、こころの中、わたしたちの『内側』の、法則であり、
そして、それは、
『思考の動き』に関しても、
ある意味、当然に、
当てはまっているんですねぇ。

そんなことを、自分自身の体験から、自分自身の観察から、
知ることができ、認識することができ、
なんだか、思わず、嬉しくなっちゃいました ^^ 。


さて。

というようなことで、
現在の、僕の、個人的な状況としては、
おかげさまで、ここに来て、
一つ、新たな段階・ステージに、至ったのかも、しれません。

僕の『浄化の旅 ^^ 』は、
 「次の、踊り場に、着いた」
 「次の、一里塚に、着いた」
 「何合目かに、着いた」
のかも、しれません。

誤解のないように、
読み手のみなさまに、より正確にご理解いただけるように、
改めて、ちゃんと、正確に、虚勢を張らずに、お伝えすれば、

先ほども申したとおり、
僕は、小さくなったとはいえ、まだまだ、ストレスを感じていますし、
ときには、大きなものも、まだまだ、感じます。

まだまだ、
ハートは、動きますし、痛みます。
まだまだ、
感情は動きますし、思考にも入ります。

まだまだ、
悟りのようなものとは、ほど遠い、
『完全に』『普通の』人間です ^^ 。

ただ、
悩んだり、困ったり、苦しんだりは、
ずいぶんと、しなくなりました。

これも、完全に、
「『過去』の自分との、比較」なのですが、
日常の状態は、
ずいぶんと、楽に、穏やかに、なりました。

津留さんが、
 「浄化を進めて行って、『楽になったから』といって、
  そこで浄化を止めてしまうのは、もったいない」
と言っていた、
その、『そこ』の位置に、その近辺に、
もしかしたら、たどり着けたのかも、しれません。

ですが、
だからといって、
ここで、浄化を止めるつもりは、
僕の場合は、ありません。

津留さんが「もったいない」と言っていたとおりに、
この先に、さらに、いままでとは違う状態・世界が、あるのでしょうから、
僕の場合は、
 「その先の世界にも、進んでみたい」
 「その先の状態も、体験してみたい」
と、想っているからです。

ただ、
おそらく、
「新たな段階にたどり着いた」ということ、そのものは、
間違いないのだと、思います。

そして、
この段階に着いたのならば、
ここでは、これからは、
これまでとは、
『意識の位置』『意識の向き』『意識の焦点』を、
少し、変えるのが、いいのだと思います。

あるいは、
 「新たなことも、きちんと、意識するべきタイミングに、やって来た」
と、表現できるかも、しれません。


これまでは、
とにかく、ストレスが(それなりに)大きかったし、多かったので、
とにかく、それを、少なくすること、小さくすること、無くすこと、
つまり、その『浄化』に、
焦点を当ててきました。

ですが、
この段階では、これからの段階においては、
もう、その、ストレスそのものの方は、
ずいぶんと、治まって来ていますので、

もう、日常の状態において、
それで、常々、困ってしまったり、辛かったりは、してしないし、
穏やかで、ゆったりとした感覚を、感じられるように、味わえるように、
なって来ていますので、

これからは、
「その感覚を感じる・味わう」ということに、意識を当て、
そして、その部分・その感覚を増やすことに、
より、意識を向ける段階なのだと思います。

 「『思考』を止める」
 「『思考』を見張る」
ということに、
あるいは、
 「『いま、ここ』に居る」
 「『いま、ここ』を感じる」
ということに、
より、意識を合わせて行くべき段階、なのだと思います。


 「ストレス(『エネルギーブロック』)が、充分に少なく・小さくなれば、
  自然と、自動的に、
  思考が止まり、『いま、ここ』に居られる」
 というわけではない。

ということが、
少なくとも、僕個人の体験からは、分かりました。

 「『思考』にも、慣性の法則が働くのだ」
ということが、
少なくとも、僕個人の体験からは、分かりました。

みなさま、それぞれの、『浄化の旅』の、ご参考になれば、
と、思います。