2017年12月3日日曜日

「エゴ」にエサを与える


 前々回の、大阪イベントの際に、
 個人セッションを受けてくださった方がいて、
 
 その方とのやり取りの中で、
 教えたいただいたこと、気づいたことを、
 このブロッグで書くことを、すっかり、忘れていました ^^; 。
 
 もう、半年以上も時間が経ってしまって、
 その方とのやり取りについては、記憶違いがあるかもしれませんが、
 覚えていることを、ここに、シェアさせていただきます。
 
 ヒントになること、ご参考になることがあれば、
 ぜひ、ご活用ください。
 

 その方は、
 いわゆる「摂食障害」を、患われていて、
 
 過食と嘔吐を、
 繰り返してしまうのだそうです。
 
 仕事が終わり、一人暮らしの家に帰る途中、
 その日の夕食を、調達します、
 
 大量に。
 
 そして、
 帰宅後、夕食を食べます、
 
 大量に、黙々と。
 
 そして、その後、
 自ら、嘔吐します、
 
 罪悪感、自己嫌悪とともに ...
 
 
  「なぜ、大量に、召し上がるのですか?」
 
 僕の質問に、
 こう、お答えになられました。
 
  「食事をしている最中だけ、
   落ち着いていられるのです。
   
   内側が、静かなのです。
   
   自分を咎(とが)める声が、
   自分を否定する声が、
   自分の無価値さを嘆き叫ぶ声が、
   
   無心に食べている間だけ、
   止むんです。」
 
 そう、おっしゃいました。
 
 
 それをお聞きして、
  「あぁ、なるほど」
 と、思いました。
 
 僕にも、
 こころあたりが、あるからです。
 
 
 僕も、いまも、そこそこ、暴食気味なことがありますし、
 若い頃には、かなり、暴飲暴食をしていました。
 
 若い頃に、一番暴食をし、
 そして、それゆえに、一番太っていたのは、
 
 自分として、もっとも、学業成績が悪い時期で、
 それは、もっとも、自己嫌悪の強い時期(の一つ)でした。
 
 また、それは、
 「どうしたらいいんだろう?」と、
 もっとも、不安が強く、悩み深き時期であり、
 
 「でも、どうにもできない!」と、
 もっとも、途方に暮れた時期(の一つ)でした。
 
 
 また、僕は、
 お酒を飲むと、とても気分が良くなります。
 
 体質的には、それほどお酒は飲めないのですが、
 飲むと気分が良くなるので、頻繁に、飲酒をします。
 
 では、
  「どう、気分が良くなるか?」
 というと、
 
 太っ腹になるというか、
 気が大きくなるというか、
 心配が、無くなります。
 不安を、感じなくなります。
 
 
 僕の場合、
 暴食しているときには、
 
 無心になれるというか、
 現実を忘れられるというか、
 現実から逃避できる感じがしています。
 
 それは、
 一つには、
 食事を採っていることによって発せられる
 ドーパミンによって、
 
 何かポジティヴな感覚を感じられている、
 と、認識することもできます。
 
 
 ですが、
 より、適切な感覚としては、
 
 食事を採っている際には、
 その体感覚が、しっかりと、強く、
 
 その感覚に、
 (無意識のうちに)意識を集中させることによって、
 
 自分の中の、
  「自分を責める声」
  「不安を叫ぶ声」
  「途方に暮れて嘆く声」
 が、
 聞こえなくなる、
 
 そんな感じだと、認識しています。
 
 
 また、
 お酒を飲んだ際には、
 
 自分の中の、
  「自分を不安視する『自分』」
  「自分の行動を監視し、見張る『自分』」
 が、
 
 アルコールの作用によって、
 寝てしまうというか、
 寛(くつろ)ぐというか、
 仕事を放棄するというか、
 
 そんなことが起きて、
 
 それゆえに、
 それらの声が、内側で、鳴り響かなくなり、
 
 それゆえに、
 飲んでいる間だけ、それらの声を聞かずに済み、
 
 それゆえに、
 自分の思ったままに行動できるし、
 将来のことまで考えずに、その場を楽しむことができる、
 だから、楽しく、リラックスできている。
 
 そんな感じだと、感じています。
 
 
 そんな、
 自分自身における体験から、
 
 その方のおっしゃっていることの意味が、
 その一部分だけに過ぎませんが、
 僕なりに、分かった気がしました。
 
 そして、
 僕なりの理解の仕方からすれば、
 
 その方の場合には、
 こんなことが起きていると、例えてみることができるのでは、
 と、思いました。
 
 
 その方の場合には、
 その他の方々に比べて、圧倒的に強力な、
 「自分を否定するエゴ」が、存在しています。
 
 それは、
 あまりに強力で、
 いえ、「凶暴」とすら言えるほどで、
 
 なので、
 その存在は、
 まるで「狂犬」と、みなせる感じです。
 
 その、『内なる狂犬』が、常に、
  「それじゃぁ、ダメだ!」
  「お前は、ダメだ!」
 と、
 
 自分に向かって、
 吠え、叫んでいるのです。
 
 
 そんな、内なる狂犬を飼っている場合には、
 「自分が食事を採る」ということが、
 
 すなわち、イコール、
 「その狂犬に、エサを与える」ということになります。
 
 自分が、食べたものが、
 その狂犬の、エサになるのです。
 
 だから、
 自分が食べている間、
 その狂犬も、食べています。
 
 その狂犬は、
 食事中だけ、叫ぶことができません。
 
 また、
 その狂犬も、
 一日中、叫び続けているので、
 夕方には、猛烈に、空腹になっています。
 
 なので、
 無心に、猛烈に、大量に、
 食べます。
 食べ続けます。
 
 
 ところが、
 そんな狂犬も、
 やがて、お腹が満ちて来ます。
 
 すると、
 また即座に、叫びはじめます。
 
  「なんで、そんなに食べるんだ!
   やっぱり、ダメなやつだな!!」
 
 再開したその声に、怯(おび)えながら、
 嘔吐を繰り返します、
 
 そんなことを繰り返してしまう、
 自分の行為を、
 さらに、自分でも、強烈に嫌悪しながら ...
 
 
 ご自分が、
 自らの意思や望みから、かけ離れて、
 
 何らかの行為を、
 (無意識のうちに)繰り返してしまう場合、
 
 どんな「内なる声」が存在しているのか、
 
 たとえば、このような、
 強力な自己否定、自己嫌悪、自己監視のエゴが存在していないか、
 
 ぜひ、
 チェックなさってください。
 
 まず、
 内側で繰り広げられている「やり取り」に、
 どうぞ、気づいてあげてください。
 
 それが、
 第一歩です。
 
 
 そして、それに気づけたなら、
 その段階で、
 何らかの対応・対策・対処を施せるケースがあると思います。
 
 その場合には、
 どうぞ、あせらずに、かつ、可能な範囲で迅速に、
 できることを、なさってください。
 
 
 でも、
 すぐには、対応できない場合もありますよね。
 
 その場合には、
 
 その、これまでの、(無意識の)行動を、
 またふたたび、採ってしまうことを、
 ご自分に、許してあげてください。
 
 もし、すぐには、対応できず、
 そして、それが、
 身体的に、経済的に、人間関係的に、
 もう少し続けても大丈夫なようなら、
 
 それを続けてしまうことを、
 ご自分に、許してあげてください。
 
 続けてしまう自分を、しまった自分を、
 責めるのを、お止めになってください。
 
 
 自分の内側に、
 自分を責める、強力なエネルギーが存在していて、
 
 その存在に、
 強烈に、否定され、責められているのに、
 
 それに加えて、
 その状態を、そんな自分を、
 ご自分自身が、さらに、責め、否定してしまったら、
 
 どんなに強い人でも、
 挫(くじ)けてしまいます。
 
 
 その、
 「さらに、自分自身が、責めてしまう」
 という部分を、終わらせること。
 
 それが、大切です。
 
 そして、そのためにも、
 まず、いったん、
 
 どんな自分でも、
 どんな小さなことでも、結構です、
 
 自分を、許してあげてください。
 
 
 そこが、スタートです。
 
 そこが、
 「自己否定の、無限ループ」の、
 終わりの始まり、です。
 
 
 「否定の、無限ループ」を終わらせるには、
 「否定」を、許してあげてください。
 
 否定的行為を、否定せずに、採らせてあげてください。
 
 それができれば、
 
 そこからは、
 「肯定の、無限ループ」が始まります。
 
 
 否定される、責められる、
 そんな自分を、そんな状況を、
 『北風』で、吹き飛ばそうと、振り払おうと、するのを止めて、
 
 そんな自分を、そんな状況を、
 『太陽』で、温めようと、労(ねぎら)おうと、したとき、
 
 「肯定の、無限ループ」が始まります。