2014年7月16日水曜日

蚊、再び

昨夏、
このブログに、「」という記事を書きました。

その後、
津留さんの講演会CDから、
津留さんが、蚊について語っている部分を、書き起こしました
(過去記事「蚊とか蜂とか」)。

今回は、それらを前提に、
今夏の、僕の、「蚊への取り組み」ついて、ご報告したいと思います ^^ 。


その前に、
この話の前提として、「僕(ひで)と蚊」について、お伝えしておくと、

まず、
僕は、すごくすご〜く、蚊に刺されやすいです。
そして、
刺されると、すっごくかゆくて、
そして、
もう、悲しいほど、腫(は)れるのです。

だから、
蚊に刺されることを、異常に嫌っています。
自分自身で、そのことを、はっきり認めざるを得ないくらい、嫌っています。
恐れています。

その「恐れぶり」は、
自分で見ても、尋常ではないので、
 過去に、
 自分自身か、あるいは、最愛の人を、
 蚊によって(つまり、マラリアなどによって)、失ったことがあるではないか
と思うほど、恐れています ^^ 。


さて、
それでは、話を続けますが、
まず、
昨夏の段階での認識と、それに基づいた取り組みとしては、

一つには、
 「蚊に刺されるには、理由がある」
 「蚊に刺されることは、身体にとっては、むしろありがたいことかもしれない」
ということを、認識しました。

その認識・理解から、
蚊に刺されることへの、理不尽な想いや、怒り、そして恐れが、少なくなり、
また、
蚊に刺されることへの抵抗感が、少なくなりました。

その結果、
蚊に刺されること自体が減り、
かつ、
蚊に刺された場合でも、その腫(は)れと、かゆみが、小さくなりました。


続いて、
秋に入り、津留さんの講演会CDを聞きました。

そこでは、津留さんの、
 「蚊は、人類の『チクチク』と外側を攻撃する性質の現れだ」
という見解を知りました。

そして、
僕は、そのことを、心の底から、納得しました。

というのは、
僕は、自分自身で、
 「僕は、蚊に刺されることを『異常に』嫌っている」
ということを認識している以上に、
 「僕は、普段、外の世界を、他人を、『チクチクチクチク』と攻撃している」
ということを、認識していたからです。
 「僕は、普段、外の世界を、他人を、しょっちゅうしょっちゅう、批判し、とがめている」
ということを、はっきりと、自覚していたからです。

 「自分が、外側を、『チクチク』と刺している」
という『作用』の結果、
『反作用』として、
 「蚊から、『チクチク』と刺されている」
ということに、
すごく、納得しました。

 「自分が、しょっちゅうしょっちゅう、外側をとがめる」
結果として、
 「蚊から、極めて頻繁に、刺される」
という事実に、
心の底から、納得しました。

 「こりゃぁ、しょ〜がないやぁ」
と、蚊に刺されてしまうことを、あきらめました。

そして、
この事実に、心から納得した結果として、
より一層、
 「僕は、もう絶対に、人をとがめない。何もとがめない。」
ということを、決意しました
(これについては、過去記事「自分に気づく訓練・儀式・アファメーション」を参照ください)。

 「『とがめない』結果、
  『蚊に刺されない』という現象を『創造』しよう」
という意図によってではなく、

単純に、純粋に、
 「『自分が、外側をとがめている』という事実を、
  これ以上ない形で、指摘され、気づかされた」
ということそのものを、素直に、謙虚に、認め、受け入れ、
そして、
 「それを変えよう」
と、純粋に、思ったからです。

 「『とがめてしまいがち』な自分を、
  これを契機に、止めよう」
と、純粋に、思えたからです。


以上のような認識に加えて、
今夏は、
定石(じょうせき)通りに、蚊に対して『浄化』することにしました。

そして、
その、蚊に対する浄化を、
定石通りに、行うことにしました。


まず、
僕の、蚊に対して持っている『恐れ』を、浄化しました。

先に触れたとおり、
僕には、尋常ならぬほどに、「蚊に対する『恐れ』」が、あります。

その「『尋常ならぬ』恐れ」が、
法則通りに、
「『尋常ならぬ』ほどに、蚊に刺される」という現象を、創り出しています。

そこで、
その『恐れ』『嫌さ』を、浄化しました。

 「僕は、すごく、蚊に刺されやすい」
という『記憶』や、
 「蚊にさされると、とてもかゆいし、とても腫れる」
という『不快感』『記憶』を、
そして、
 「蚊に刺されるのは、絶対に嫌だ!」
という『想い』『恐れ』を、
浄化しました。

その、浄化の、直接的な結果によって、
その『恐れ』『嫌さ』は、
少し、軽くなりました。

正直に、かつ、正確に言えば、
軽くなったのは、『少し』だけです。

ただ、
その程度の『量』であっても、
その変化ぶりは、
以前の自分からしたら、信じられないほどです。

軽くなったのは『少し』なので、
まだまだ、基本的には、『かなり嫌』なままなのですが、
でも、体感的に、かなり楽になりました。

例えば、
自分の身体の近くを飛んでいる蚊を見つけても、
動かずに、「ただ、目で追う」ことができるようになりました。

以前なら、
もう条件反射で、即座に立ち上がり、追いかけ、始末しようとしていたところを、
動ぜずに、見ることができるようになりました。

その変化で、
なにより、自分が楽になりました。

蚊を見るたびに、軽い『パニック』になっていたのに ^^; 、
いまでは、
まずは、「ただ見ていられる」ようになったのですから。

このように、
一つには、定石通りに、
蚊に対して自分が持っている『エネルギーブロック』を、浄化しました
(正確には、もちろん、いまも、浄化し続けている段階です)。


加えて、
もう一つ、蚊に対して、『浄化』で対処しています。

それは、
蚊に刺されたとしても、掻(か)いたりせずに、
その『かゆみ』を、『感じ尽くす』ようにしています。

『かゆみ』を、
『感じる』ことによって、『浄化』しています。

そうすると、
本当に、ビックリするくらいに、
感じるかゆみが少ないですし、
かゆみも早く引きます。

そして、
刺されたところの腫れが、少なくて済みます。

これは、
『痛み』や『かゆみ』といった、
「肉体の症状」に対する『浄化』の定石ですが、
これは、ちょっと、ビックリするくらいに、効果があります。

 (このことについては、また、機会を見て、お伝えします。
  興味を持たれた人は、ぜひ、試してみてください。
  ただし、される場合には、
  「余裕のある状況」で、「軽めのもの」に対して、行ってみてくださいね。)


ただ、
これは、先にも触れました、
 「刺されるのは、自分が、『とがめている』ことの結果である」
ということを、頭で理解し、気持ちとしても納得している、
ということと、深く、相互に、関連しています。

このような理解と納得があるから、
「刺されること」および「刺された場合のかゆみ」に対して、
「しかたない」というあきらめ、受け入れがあり、
それによって、「刺されること」「かゆみ」への拒否感・抵抗感が減り、
その結果、
「感じるかゆみ」も、「刺された後の腫れ」も、減ったのだ、と思うからです。

これまでは、
 「嫌だ。おまえ(刺されること・かゆみ)なんか認めない!受け入れない!」
という、僕のエゴの、強い強い拒絶感が、
 「そうか。それなら、絶対に認めさせてやる!受け入れさせてやる!」
という『反作用』を生み出し、
その結果、
僕が、その存在を認めざるを得ないほどの「強烈なかゆみ」「不快感」を、
肉体に感じさせられていたのです。

僕が、
 「嫌だ! 絶対に嫌だ!!」
と拒絶するのと、同じだけの力で、
 「ダメだ! 絶対に認めろ!受け入れろ!」
と、主張してきていたのです。

僕が、その存在を『はねつける』のと、同じだけの力で、
それらが、『押し返して』きていたのです。

いまは、
それが、はっきりと、分かります。

 自分が、これまで感じてきた、
 猛烈な『かゆみ』と、悲惨なまでの『腫れ』は、
 自分自身の、猛烈な『拒絶感』『恐れ』の現れだった、
ということが ...


さらに。

突然、ある記憶がよみがえってきました。

これは、『浄化』をしていると、往々にしてあることですが、
自分では、すっかり忘れてしまっていた、関連ある『記憶』を、
突然、思い出しました。

僕が小さかった頃。
僕が蚊に刺されると、
母や、祖母が、飛んで来て、
 「あぁ〜、かわいそうに!」
 「あぁー、かゆいねぇ。かわいそうだねぇ。」
 「あー、蚊が憎たらしいねぇ!」
と言いながら、刺されたところを、掻いてくれていたことを。

これまで、僕が、
蚊に刺されることを異常に嫌ってきた理由の一つとして、
そんな『記憶』があったことに、
気づきました。

 「蚊に刺されると、『かわいそう』なほどに、かゆいんだ」
 「あぁ、蚊は『憎たらしい』ものなのだな」
そんな『考え』『想い』を、小さい頃に握り、
そして、それを『想念』として、『記憶』として、
これまで、思い出せないところにしまい込んで、持っていたことに、
気づきました。



 「蚊に刺される」
 
こんなテーマで、こんなに長い文章が書けたなんて、
とっても僕らしくて、
読み返してみて、自分で笑っちゃいました。

これまで、蚊に刺され続けてきて、
よかった、のかも ^^ 。