2017年2月23日木曜日
ハワイからのおみやげ(もう一つの、「『ダメ』な自分」)
先週末、
子どもたちを連れて、
僕の両親のところに、行きました。
ハワイのおみやげを、渡すためです。
その滞在が、
終盤となったころの話です。
暇を持て余しはじめた、子どもたちが、
子どもたち同士で、じゃれ合いはじめました。
それそのものは、よくあることで、
そして、これまた、頻繁にあることなのですが、
兄が、妹を、揶揄(からか)うような調子が、
すこし、強くなってきました。
それにともない、妹は、
すこし悲鳴に近いような、
自分の不快・嫌悪を表すような声を、上げはじめました。
そのとき。
僕の父が、
「おじいちゃんは、その声が、嫌いなんだよ!
止めなさい。」
と、
それまでの様子から、急変して、
かなり強めの口調で、言いました。
それを耳にして、
「あぁ。 これ、僕も、よく言われたなぁ ... 」
と、思いました。
僕の場合は、
僕が、泣いているときに、
よく、こう、言われました。
「泣くんじゃないよ!」
「泣くんじゃないよ、男なんだから。」
そう言われたとき、
僕は、
「あぁ、泣いてるなんて、自分は『ダメ』なんだなぁ」
「泣くに至る状態・原因になった自分も、そもそも、『ダメ』だなぁ」
「しかも、泣くのを止められない自分は、さらに、『ダメ』だなぁ」
そんなふうに、繰り返し、思っていたことを、
思い出しました。
前述 の通り、
ハワイに行って、
これまで、僕が、「『ダメ』な自分」を、
認められていないこと、許せていないことを、
再認識させられました。
そのときに気づいたのは、
主には、母との関係から、
それを握ってきたとの、認識でした。
そして、
その気づきを得た、ハワイの地の、おみやげを持って、
両親を訪ねた結果、
そこでも、また、
これまで、「『ダメ』な自分」を、許せていなかったことに、向き合い、
そして、今回のそれは、
父との関係から受け取った、
「『ダメ』な自分を、認められない・許せない」
でした。
両親に、ハワイのおみやげを渡した結果、
僕も、ハワイから、おみやげを受け取った感じで、
とても面白く、
とてもありがたく、思いました。
そして、
「『ダメ』な自分」が、いまのテーマであることを、
改めて、再確認しました。
「泣かれるのが嫌いだから、止めなさい!」
「泣いてる声を聞くのが嫌だから、泣き止みなさい」
僕が、父から、そう、直接、言われたことが、
あったのか、無かったのかは、記憶がはっきりしませんが、
でも、どちらにしても、
父が、父本人が嫌だから、そう、言っている、
という認識は、子どもの時から、ありました。
そして、そのことが、
実は、さらに、僕を、傷つけていました。
「男なんだから」
などという、理由・理屈を持ち出していながら、
しかし、言っている動機は、
父本人の感情に由来していることは、
僕にとっては、明白でした。
そして、
そもそも、僕が、苦しんでいる状態なのに、
それが、嫌だからと、
父である、親である、大人である人が、
本人の感情ゆえに、それを否定してくることが、
なにか、『僕』という存在を、
軽んじられているというか、
ないがしろにされているか、
そのような感じがして、
そして、それが、
なにか、よけいに、
「『自分』は、ダメだ」
「『僕』には、価値がない」
「『ダメな自分』は、ダメだ」
という気持ちを、
強く、感じていたように、思います。
そんなことも、
同時に、思いました。
今となっては、
大人になった、今となっては、
浄化も進んできた、今の僕としては、
そんな父を、恨むような気持ちは、
もう、あまり、ありません。
むしろ、それよりも、
なぜ、父が、そんな状態だったか、
なぜ、父が、そんなことを言わざるを得なかったのか、
そこに対する、
自分なりの推測や、
そこに対する「同情」のようなものすら、
持つようになっています。
父は、戦前の生まれで、
戦時中、空襲によって、
自分の父親を亡くしています。
そもそも、戦時中には、
多くの方の、悲鳴や、鳴き声を、聞いたことでしょう。
しかも、
自分の父親を亡くした際には、
妹がいて、弟もいて、母親もいました。
その人たちの、
悲鳴や、鳴き声を、
声にならない、音にならない、
悲鳴・鳴き声も、
嫌というほど、聞かされたことでしょう。
耳を塞いでも、意識をそらせても、
聞こえてきたことでしょう。
ですから、
誰かの悲鳴・鳴き声を聞けば、
特に、近親者の、悲鳴・鳴き声を聞けば、
その時の様子を、その時の感情を、
フラッシュバックして、見ざるを、感じざるを、得ないことでしょう。
そのことだけでも、
十二分に、同情せざるを得ません。
しかも、
当時、
父本人は、自分の感情を、出すわけにはいかなかったと思います。
自分の父親が亡くなって、
長男として、その父親代わりに、
兄弟たちを、母親を、支えなければならなくなりました。
自分の感情を出すわけには、いかなかったと思います。
自分の感情に、素直に、向き合っているわけには、
いかなかったと思います。
自分の感情を、素直に、認めているわけには、
いかなかったと思います。
そうなると、
「感情の露出」そのものに対する、耐性が低いでしょうし、
さらには、
簡単に、自分の感情を露出する、僕の娘に対して、
不平等感を、憤りを、感じても、不思議ではありません。
そんなふうに、推測し、
そんなふうに、思っていると、
もう、父に対する、
恨みみたいなものや、憤りみたいなものは、
少なくても、そのことに関しては、
ほとんど、湧いてきていません。
そして、
恨み・憤り・怒りが、出てこなくなると、
そのことに関して、
新たな気持ち・感情を、
上積みすることが、付加することが、無くなりますし、
過去の感情を、手放しやすくなります。
とても楽な状態になり、
「新たな段階」という感じになります。
ただ、
とても楽になり、
そして、過去の感情を手放しやすくは、なりますが、
ただ、
それで、自動的に、
過去の感情が、浄化されているわけでは、ありません。
そういう、それだけで浄化されてしまうブロックも、
なるにはあるかもしれませんが、
基本的には、大部分は、
それはそれとして、厳然と、残っていて、
改めて、
それらを認め、受け入れ、溶かし、手放してあげる必要があります、
もし、それらを手放すのであれば ...
ただ、
前述の通り、
以前に比べれば、とても「手放しやすく」なっています。
これまでの、
重く固い「蓋」が、取れたような状態です。
重く固い蓋が取れ、
器の『中身』を、
しっかりと、覗き込み、
じっくりと、向き合ってあげることが、
とてもしやすくなっています。
場合によっては、ものによっては、
『中身』そのものが、
器から溢れ出てきて、
向こうから、手のひらに乗ってくるかもしれません。
それをただ、
眺めてあげ、話を聞いてあげれば、
いいだけかもしれません。
いま、
僕の場合は、
いままでとは、
すこし、色合いの違う、『中身』を、
いままでとは、
すこし、階層の違うところにある、『中身』を、
見つめていきたいと思います。