2014年12月12日金曜日

感情認識のパラドックス


 「ブルーになるようなことを考えるから、
  気持ちがブルーになる」
 のではなくて、
 「ハートに、ブルーなエネルギーが来ているから、
  頭が、ブルーなことを考える」

すでに、このブログでも、ご紹介済みですが、
津留さんが、DVDの中で、言っていたことです。

通常、感覚的に認識していることと、
これまた、「順序が『逆』」ですよね。

この、「『パラドックス』な構造を採った宇宙」においては、
こんな事例が、無数に、あるのですね。


ところで、
私たちは、普段、

 「(誰それに)怒られた」
 「嫌みなことを言われた」
 「バカにされた」

と言っては、
不快感・ストレスを、感じています。

ですよね?

 「(誰それに)こう言われた。こう思われた。
  だから、不快だ。困った。どうしよう?」

そんなふうに、ストレスを感じていますよね?

さて、
まず、ここで、
一つ、ご質問です。

そのとき、
相手の人は、本当に、「怒っている」のでしょうか?
「嫌みなことを言っている」のでしょうか?
「バカにしている」のでしょうか?


話は変わりますが、
先週、2度ほど、立て続けに、
妻から、
 「パパ(僕のことです ^^; )が、○○って言った」
と、言われました。

簡単に言えば、
『言い間違え』のようなことです。

 「(『パジャマ』のことを)『ピャジャマ』って言った」
というような、たぐいのことです。

そのとき、
僕は、間違いなく、言い間違えはしていなかった、と、思うのですが ^^ 、
妻は、
 「そう、言った」
と、言っていました。

そのとき、
これからお伝えするようなことを、
改めて、認識しました。


さて、まず、
その、妻との話ですが、

たとえば、
 「人、それぞれ、住んでる『宇宙』が違う」
という観点からすれば、

確かに、
 「『妻の宇宙』においては、僕は、そう言った」
のかも、しれません。

確かに、
そうも、言えます。
そうも、考えられます。

ただ、
こうも、言えますよね。

つまり、
 「妻に分かるのは、どう『聞こえたか』だけであり、
  どう『言ったか』は、言った人、本人にしか、分からない」
ということです。

 「自分に分かるのは、自分の知覚できることだけ」
ですよね。

だとすれば、
 「自分には、こう、聞こえた」
ということは、言えたとしても、

でも、
 「『そう聞こえた』からといって、
  相手が『そう言った』ということの証拠・証明には、ならない」
ということにです。

そして、そうであれば、
たとえ、さきほどの『宇宙』のたとえのケースのように、
 「確かに、その人の宇宙では、相手は、『そう言った』」
としても、
 「その場合であっても、
  その人に分かることは、『どう聞こえたか』だけであり、
  『どう言った』かは、分からないし、証明しようがない」
ということです。

ところが、
私たちは、
 「相手が、どう言った。こう言った」
 「だって、君は、そう言ったじゃないか」
と言って、
喧嘩になり、口論になります。

そして、
 「こう言われたから」
と、
気を落としたり、
恐れおののいたり、
パニックになったりします。

それは、本当に、
残念ながら、
 「とても不毛なこと」
と、言えそうです。


そして、です。

さらにいえば、
相手が『どう言った』ということが、
仮に、何らかの手段によって、確認できたとしても、

だからと言って、
その人の『気持ち』や『想い』や『意図』は、
聞き手側には、本当のところは、分からないわけですよね。

相手の『こころの中』『想い』『意図』は、
見えていないし、聞こえていない、ですよね。

それなのに、
私たちは、それを、
 「あの人は、怒っている」
とか、
 「バカにしている」
とか、
そのように『決めつけて』、
そして、
不快感・ストレスを感じているわけです。


そして、そして、
さらに、さらに言えば、です ^^ 。

仮に、相手の『感情』を、
何らかの形で、確認できたとして、
そして、相手が、確かに、『怒っている』としても、

そうだとしても、
だからといって、
自分が、怖がったり、不快になったり、ストレスを感じる必要は、ない、
ですよね。

自分の感情・感覚・ストレスを、
他人に、影響される、コントロールされる必要は、ない、わけです。

そうしていると、
いつまでも、
 「自分の幸不幸が、他人に、外側の環境に、依存してしまう」
ことになります。

そうしていると、
どうしても、
 「自分が、自分の(人生の)、創造主」
には、なれない、わけです。

そして、
まさに、この点こそが、
津留さんに、『浄化』というものを、
理解・認識させて、構造を解明させて行った『きっかけ』だったわけです。


さて、
改めて、ここで、
話を、戻しましょう。

このように、
相手が『どう思っているか』、
相手が『何と言っているか』、は、
自分には、本来、分からないはずなのに、

でも、
普段、私たちは、
 「あの人に、怒られた」「からかわれた」「バカにされた」
と、認識しますよね。

で、ここで、
今回の記事の、一番はじめに戻りますが、

そう認識するのは、
それは、
 「相手が、『どう思っているか』」
とか、
 「相手が、『何と言ってたか』」
とか、
そういうことによって、ではなく、

 「相手の言った言葉が『聞こえた』際に、
  自分が、『そう感じる』から、
  相手が、そう言っているように・思っているように、認識する」
のです。

  「相手が、『どう思っている』」
  「相手が、『どう言った』」
という『事実』が先にあって、
そう、認識するのではなく、
  
  「自分が、そう感じる『から』、
   だから、そう言っているように・思っているように、認識する」
のです。

ここでも、「順序が『逆』」なのです。

そして、
 「自分に、そう『感じさせる』モノ」
それこそが、
 『エネルギーブロック』
なのです。

相手の言葉や、表情、態度などを、見聞きしたときに、
どうしても、自然に、自動反応的に、嫌な気持ちになってしまう、
自分を、そう、感じさせるモノ、
それこそが、『根本原因』であり、
それこそが、『エネルギーブロック』なのです。

そのような『エネルギーブロック』が、自分の中にあって、
それがゆえに、
それが作用したがゆえに、
相手が、そう、言っているように・思っているように、認識するのです。

ですので、
浄化によって、その『エネルギーブロック』が無くなれば、
その後、相手の、まったく同じ言葉を聞いても、
もう、相手がそう思っているとは、感じなくなります。

ただ、相手が言っている言葉が、音が、
ただ、聞こえてきます。

あるいは、
仮に、相手が、そう思っていると、頭が認識したとしても、
自分は、不快感・ストレスを、感じません。

なので、やはり、
ただ、聞いているだけです。

いずれにせよ、
自分は、不快感・ストレスを、感じませんし、
ただ、聞いているだけ、で、居られます。

自分の周りの世界を、
自分自身の体験を、
ただ、『観察』できます ...


いずれにせよ、
 「自分が、しあわせである」
 「自分が、ストレスを感じない。楽で居る」
ということこそが、重要なのであるとすれば、

 「自分が、どう感じるか」
 「自分が、どう認識するか」
ということだけが、問題なのであって、

 「相手が、どう言うか」
 「相手が、どう思っているか」
ということは、
問題ではないのです。

そして、
そのような状態を作ることができるのが、
そのような状態をもたらしてくれるのが、
『浄化』、なのです。