2014年12月4日木曜日

宇宙は、ただ、循環しているだけ


この1ヶ月、
記事をアップしませんでした。

 「何も、書けなかった」
といえば、
そんな感じですし、

 「何も、書かなかった」
といえば、
それもまた、そんな感じです。

その間、
僕のところには、
いまの僕にとって、とても重要で、深淵な、
『情報』と『理解・気づき』が、
いくつか、
やって来ていました。

ある方は、
とても意義深い『情報』を携え、
僕(ら)のところに、いらしてくださり、

また、
妻が、
とても納得のいく『情報』を入手して来て、
それを、僕に伝えてくれ、

そして、
ある朝には、
目覚めとともに、
ある、深い『理解』が、やって来ていました。


はじめに、
ある方が、個人セッションに来てくださいました。

その方は、
あるとき、突然に、
 「分かってしまった」
のだそうです。

そして、
津留さんが、メッセージで言っていたことが、
その、
 「『分かってしまった』内容」
と、
まったく同じであった、ということを、
私たちに伝えに来てくださったのでした。

 「分かってしまってみると、
  津留さんのメッセージが、より理解できるし、
  その『正しさ』に、とても驚きと親しみを感じた」
という趣旨のことを、おっしゃっていました。

その方がいらっしゃる前日の、10月の交流会で、
『わかちゃった人たち』という本のことが、
ちょうど、話題になっていたことも、
『偶然』というか、『必然』というか、
とても興味深いことでした。


その方が『分かってしまった』内容は、
お聞きする範囲では、
津留さんのメッセージと、ほぼまったく、同じでした。

 「私たちは、そもそも、『神』である」
 「その神は、全知全能であるがゆえに、とても退屈である」
 「そこで、このような宇宙を創り出し、遊んでいる」
 「人と人が演じているドラマは、同一人物の『指』と『指』がじゃれ合っているようなもの」
 ・・・

その方の、そんなご理解をお聞きしていて、
いままで、頭で理解できていた津留さんのメッセージが、
一段、下に、降りました。
一段、腑に、近づきました。

中でも、
 「『神』は、全知全能であるがゆえに、とても『退屈』なんだ」
という部分が、
とても、こころに響きました。

 「ほんとうに、そうなんだなぁ〜・・・」
と、
こころから、思いました。


つづいて、
妻が、ある方のワークショップに、参加してきました。

そこで聞いて来た内容を、
僕に、伝えてくれました。

その内容は、多岐に渡っていたのですが、
その中心は、
 「いま、地球が迎えている状況」
 「これから、進んで行くであろう状況」
を、

 『宇宙の創造の流れ』
という観点の中で、
把握し、認識していて、

そして、
他の銀河文明(シリウス、プレアデス、オリオンなど)を引用し、
そして、それらと比較しながら、
説明していました。


 「地球は、これまでは、『2極』『分離』を、体験して来た」
 「そして、これからは、『統合』に向かって行く」

単純に言えば、その骨子は、こんな感じです。

そして、
その『流れ』は、
 「それが、その方向が、『正しい』から、
  そう流れている、そう進んでいる」
というわけではなく、

 「ただ、そう、巡っている」
というものであり、

その中で、
 「いまは、2極の世界の終焉を迎えている
  かつ、
  これから、統合の世の中に向かっている」
だけのもので、

そして、
  「いまは、ただ、そういうポジションにある
   そういうタイミングにある」
とのことでした。

 「『分離』から、『統合』へ」
という流れについては、

 「約23,000年という、
  天の川銀河の歳差運動の中で、
  半分の約16,500年は、地球が、銀河の下側を通り、
  残りの半分は、銀河の上側を通り、

  下側を通っているときには、
  銀河の中心から流れ出ているエネルギーの影響が、
  『分離』の方向に働き、
  地球は、その影響を受け、

  上側を通っているときには、
  そのエネルギーが、『統合』の方向に働き、
  その影響を受けている。
 
  地球は、いま、
  その『下側』から『上側』への移行時期にある。」

という説明も、なされていました。


これらも、また、
津留さんの言っていたことと、
驚くほど、合致していますよね。

そして、
 「それが『正しい』から
  『統合』に向かっている、というわけではない」
 「『そうあるべき』だから
  『神に還る』、というわけではない」
という点、

 「ただ、そう、巡っているだけ」
 「いま、地球は、ただ、そういうタイミングなだけ」
という点が、
特に、強く深く、こころに残りました。

 「銀河の歳差運動の中における、いまの地球のポジション」
に関する説明には、
これまでの理解が、す〜っと、深まっていきました。


そして、ある朝。

かすかな、夢の記憶とともに、目覚めました。

そのとき、僕のもとには、
ある『理解』が、留まっていました。

強烈でもなく、強力でもなく、
漫然とした感じではあるのですが、

でも、
『納得』と『体感』をともなった、
ある『理解』が、
やって来ていて、そして、そこに留まっていました。

そのときの『理解』を、
あえて、言葉にすれば、

それは、
 「『過去』というものがあるわけでもなく、
  『未来』というものがあるわけでもなく、
  ただ、『いま』という瞬間に、『目の前の映像・現実』が存在し、
  そして、それが、ただ、『変化』しているだけ」
という、理解です。

その『理解』が、
これまでの、『頭』だけでの『理解』とは、すこし、異なり、
『体感的納得』とでも言うべきようなものをともなって、
やって来ていました。

たぶん、
夢で、何かを、見たのだと、思います。
あるいは、
夢の中で、何かを、教えられたのだと、思います。
何かを、伝えられたのだと、思います。

それが、『何』であったのかは、
そのときも、すでに、うっすらしていました。
いまでは、まったく、思い出せません。

ただ、
それによって、
目が覚めたときには、すでに、その『体感』のようなものが、
存在していました。

 「あぁ〜、ほんとうに、ただ、目の前が、変化しているだけなんだぁ〜」

その言葉が、
頭の中を、何度も、リフレインし、

その『理解』の持つ『振動』が、
何度も、身体の中を、響き巡っていました。



上記の、それら一連の、『情報』と『理解』は、
僕にとっては、
ある一つの『理解』に、収れんされて行きます。

 『宇宙は、ただ、循環しているだけ・・・』
 
津留さんが言っていた、
その言葉が、その内容が、その意味が、
ようやく、わずかながら、
理解でき、納得できた気がしました。

 「『宇宙は、ただ、循環しているだけ』
  それを、100%理解できたら、それで、すでに、悟っている」
という、津留さんの言葉があります。

それだけ、
とても本質的な概念であり、
それだけ、
本質的な理解である、
その内容 ...


宇宙は、ほんとうに、ただ、循環しているだけ、なんですねぇ。

そして、
私たちは、ただ、それを、体験しているだけなんですねぇ。

「何が正しい」とか、「どうなるべき」とか、
そういうことではなく、
ただ、
『神』では体験できないことを、体験するために、
それらを、ただ、体験しているんですねぇ。

しかも、
それら『体験』には、
『時間的な順序』というものは、存在しません。

ある『時代』を体験したら、
その次には、それ以降の時代しか、体験できないわけではありません。

また、
『レベルの高低という順序』があるわけでも、ありません。

たとえば、
いま、地球に来ている魂のほとんどは、
オリオンにおいて、何度もの転生を経験していて、

そこでは、
極限的な『分離』『2極』を体験し、
かつ、
それらを『統合』し、『融合』する、という体験も、
経験済みなのだそうです。


そのような、様々な、ありとあらゆる『体験』をするために、

「『神』たる私たち」は、
無数に分裂し、
体験のための『舞台』として、宇宙を創造し、

「ありとあらゆる『体験』」のために、
「ありとあらゆる」「無数に異なる」
体験のための『場』としての環境を創り、

その『体験』のための『器』として、
人間を含む、「ありとあらゆる」「無数に異なる」『生命体』を生み、

そして、それらが、
ただ、「無限に」『変化』している ...


そんな『理解』を、
これまでよりも、一段、深いところで、味わい、
それらを、
これまでよりも、一層、外側まで、浸透させる ...

そんなことを、
この約1ヶ月間、
していました。