2017年2月28日火曜日
「成功したくない」想い
前稿 では、
僕が、父との関係から、
「上手く行っては、だめだ」
という想いを持っていたことについて、書きました。
それを読まれた方の中には、
参考になられた方も、おられたかもしれませんが、
僕のケースが、事情が、
少し特殊で、限定的で、
参考になられなかった方も、おられたことでしょう。
ですが、この、
「上手く行っては、だめだ」
という想いは、
実は、多くの方の中にも、
多かれ少なかれ、あるのではないかと、思っています。
感じています。
たとえば、
僕が体験したケースを、続けますが、
僕が、何かを、上手く出来たときに、
成功したときに、一番になったときに、
「お前ばかり、いい思いをして」
とか、
「調子に乗るなよ」
とか、
そんな、嫉妬、妬(ねた)み、嫉(そね)み、やっかみを受け、
それゆえに、
上手く行ったがために、かえって、辛いことになった、
という経験が、いくつも、あります。
このような類いの経験は、
実は、多くの方に、ほとんどの方に、
おありなのではないかと思います。
また、
前稿の、僕の事例のケースと似ていると思いますが、
テレビや、メディアで、よく目にする、
誰か、特定の人、特に、有名人への、
批判やバッシング、
場合によっては、単純な、嫉妬など、を目にしていると、
「有名になること」
「目立つこと」
ひいては、そのもとである、
「成功すること」
「上手く行くこと」
に対する、
漠然とした、無意識的な、恐れ・恐怖を、
持ちがちです。
有名人の方々が口にする、
『有名税』と呼ばれるような、
「有名で」「目立ち」「成功している」
からこそ、受け取らざるを得ない、
各種の、ネガティブな事項に対しての、
煩(わずら)わしさ、怖さ、恐れは、
誰の中にも、
人によっては、無意識的かもしれませんが、
刷り込まれているのではないかと思います。
わたしたちの文化には、
「村八分」
というものがあります。
それが、「日本人だから特に強い」とかいう、
他の文化や、他の人種との比較のようなものは、
僕にはよく分からないので、ここでは、置いておいて、
いずれにせよ、
それに対する恐れは、
誰の中にも、あるのではないかと思います。
「失敗すること」
「迷惑をかけること」
に対する恐れは、
多く、そこからも、生まれているでしょうし、
また、それと同じように、
「周りから、浮いてしまうこと」
「異質であること、異端であること」
に対する怖さも、
同時に、持ち合わせていると思います。
良い意味であっても、ポジティヴな理由であっても、
周りと違ってしまうと、異質であると、
嫉妬・やっかみ・批判を受けてしまう、
そのことに対する恐れ、
だから、
「上手く行くこと」「成功すること」などに対しても、
自覚が無かったとしても、認識していなかった場合でも、
深いところでは、無意識のところでは、
恐れを持っているのではないかと思います。
前稿 の補足として、
簡単にですが、触れさせてもらいました。
2017年2月26日日曜日
「上手く行っては、いけない」想い
前稿 で、
父親から受け取った、
「ダメな『自分』」を否定する想いについて、書きました
(その前の稿 では、
母親から受け取った、
「ダメな『自分』」を否定する想いについても、書きました)。
それ以来、
父親との関係、
父親から受け取った価値観・想いなどを、
改めて、思い返していたのですが、
その過程で、
父が、よく言っていたことを、
一つ、思い出しました。
父は、
「強いもの」「勝っているもの」
が、嫌いでした。
僕が育った時代でいえば、
たとえば、
巨人が、大嫌いでした。
どこか、好きなチームがあって、
そこが、勝つかどうか、ではなく、
「巨人が負けるかどうか」
が、意識のポイントでした。
そんな中、
特に嫌いだったのが、
「有言実行」タイプの人、
特に、そのうち、
「自分は、すごいだろ」
ということを、明言してしまうタイプの人、でした。
たとえば、
そういうタイプのボクサーや、ゴルファーは、
大嫌いでした。
こういう人のことを見ると、発言を聞くと、
「なんて、生意気なんだ!」
と、熱(いき)り立っていました。
そして、
こういう人が負けたり、ミスしたりすると、
したり顔で、
「やった! ざまあみろ!!」
と叫び、
全身で喜び、溜飲を下げていました。
そんな影響から、
僕自身も、
「判官びいき」こそが、正しい姿勢であり、
謙虚であることが、素晴らしく、
高慢・尊大なことは、あるまじきことである、とか、
メジャーなものを敬遠し、
マイナーなものを好む、とか、
そんな傾向を、
無意識のうちに、身に付けていました。
さて、
今回、この、父からの影響を検証するまで、
僕は、すっかり、
父は、「高慢なこと」「尊大なこと」が嫌いで、
「謙虚さ」を好んでいる、
と、認識していました。
そのことそのものは、
たしかに、そのとおりだと思います。
ですが、
今回、改めて、見つめ直してみると、
父が、さらに嫌いだったのは、
先にも、触れたとおり、
「感情を抑えず・隠さず、表現する人」
であり、
だから、
そのような、
「自慢」を含めた、想いを表現する、
「有言実行」タイプが、嫌いなのであり、
そして、もう一つ、
さらに、それ以上に、嫌いなのは、嫌なのは、
「上手く行っている人」
「成功している人」
であり、
とくに、
「容易に、やすやすと、上手く行っている人」
「あまり苦労せずに、上手く行っている人」
なんだと、
認識するに至りました。
父は、
前述のとおり、戦前の生まれですが、
しかし、大学を出ており、
そういう意味においては、一般的な意味においては、
十分に、恵まれた、ちゃんとした、仕事に就いていました。
しかし、これまた、前述のとおり、
戦中に、父親を亡くしましたので、
それゆえに、
母や、兄弟のために、家族のために、
若くから、働かざるを得ませんでした。
自分の想いや、願望を、我慢し、無視し、
「働かなくてはいけません」でした。
そんな、「働かなくてはいけない」仕事において、
なにか、上手く行かないことがあったり、
なにか、不公平と感じる出来事があれば、
それらのことを、
過剰に、辛く感じたり、
過剰に、重く感じたりして、当然です。
それらを含めて、
父にとっては、「仕事」をすることが、
不可避な、選択の余地のない、「義務」であり、
「しなければならない」辛いことであり、
しかも、そこには、
上手く行かない、辛い、苦しいことが、
山積していました。
特に、仕事に関して、
父は、「被害者」でした。
僕にとって、
これまでの人生において、
明確に自覚できるブロックのうち、
その大半は、「お金」に関するものでした。
そして、そのブロックは、
主に、父から受け取っていることを、
自覚していました。
父の、
「こんなに苦労して、こんなに我慢して、
稼いできているお金を、
1円たりとも、無駄にするな!」
という想いから、
僕の、お金に関するブロックが構築されていることは、
強固な、堅固な、お金のブロックが、出来上がっていることは、
僕にとっては、自明なことでした。
父にとって、
「仕事」とは、
自分の意思を押し殺し、
家族ため、お金のために、
苦労をして、辛い思いをして、
しなければならないこと
でした。
そこから、僕は、
「お金」とは、
生きていくために必須なものであり、
かつ、「仕事」をして、はじめて、得られるものであり、
したがって、
限られた、とても有限なものであり、
苦労をした結果、辛い思いをした結果、得られるものであり、
だからこそ、有効に使わなければならないもの
と、受け取ってきました。
そして、
「生きる」とは、
苦労をして、はじめて、
辛い思いをして、はじめて、
可能となるもの
と、
無意識のうちに、認識していました。
そう。
父同様に、
「生きる」とは、
「人生」とは、
苦労をして、はじめて、可能となるものであり、
辛い思いをして、はじめて、成立するものである
と、
強く、深く、信じ込んでいました。
また、父のような、
そんな信念を持って、
苦労をして、辛い思いをして、生きている人にとって、
上手く行っている人物は、
成功している人物は、
しかも、
それを、自慢げに、得意げに、吹聴している人物は、
どうしても、
許せませんでした。
認められませんでした。
もし認めれば、
「自分」という存在を、
自ら、最根底から、崩壊させ、消去し、
無にしてしまう、灰燼(かいじん)に帰してしまう、
そんな、恐怖の存在でした。
父が、
「仕事」というものは、辛く、苦しいものである、と、
無言ながらも、背中で、雰囲気で、放ち続けていた結果、
僕は、「生きること」そのものを、
「苦労すること」
「苦しむこと」
「辛い思いをすること」
と、
思い込んでいました。
「苦労すること」「苦しむこと」が、人生なんだ
と、
思い込んでいました。
なので、
「生きる」ことを前提としたとき、
「生きよう」と考えたとき、
無意識のうちに、
「苦しい」方向を、目指していました。
「苦しみ」が含まれているものだけを、選択肢としていました。
自分を、自ら、苦しみに、追い込んでいました ...
そして、
もう一つ。
そのことと、同じように、
同質的に、
もう一つ、別の観念を、
受け取り、握り締めていました。
それは、
「上手く行ってはいけない」
という、観念です、
だって、
父は、
「上手く行っている人」
を、憎んでいるんですから ...
もちろん、こんなものは、
与えた当人である、父にしたって、
与えようと、意図していたものではありません。
当人としては、
もちろん、むしろ、逆に、
「自分の子どもには、上手く行って欲しい」
「苦労しないで欲しい」
と、
思っていたはずです。
そして、
だからこそ、
「ダメな『僕』では、だめ」
だったわけです。
しかし、
当人の、そんな思いとは裏腹に、
僕には、しっかりと、伝わってしまっていました、
「上手く行ってはいけない」
という、逆の観念も。
父を愛し、感謝し、同情し、尊敬していたからこそ、
却って、握ってしまっていました。
父が好きで、好かれたいからこそ、
認められ、受け入れられ、嫌われたくないからそこ、
却って、強く、握ってしまっていました、
「上手く行ってはいけない」
という、逆の観念をも ...
このことに、しっかりと、気づいたとき、
自分が、「上手く行ってはいけない」と思っていたことを、
明確に、認識したとき、
僕は、
はじめ、驚嘆し、
つぎに、全身から、力が抜け、へたり込み、
そして、最後には、笑ってしまいました。
「そりゃ、上手く行かないはずだわ」
声を上げて、笑ってしまいました。
自分が、いかに巧妙に、この『ゲーム』を、作り上げてきたのか、
自分自身に対して、感心してしまいました。
「自作自演 ... 」
このフレーズが、しばらく、
頭の中を、リフレインしていました。
2017年2月23日木曜日
ハワイからのおみやげ(もう一つの、「『ダメ』な自分」)
先週末、
子どもたちを連れて、
僕の両親のところに、行きました。
ハワイのおみやげを、渡すためです。
その滞在が、
終盤となったころの話です。
暇を持て余しはじめた、子どもたちが、
子どもたち同士で、じゃれ合いはじめました。
それそのものは、よくあることで、
そして、これまた、頻繁にあることなのですが、
兄が、妹を、揶揄(からか)うような調子が、
すこし、強くなってきました。
それにともない、妹は、
すこし悲鳴に近いような、
自分の不快・嫌悪を表すような声を、上げはじめました。
そのとき。
僕の父が、
「おじいちゃんは、その声が、嫌いなんだよ!
止めなさい。」
と、
それまでの様子から、急変して、
かなり強めの口調で、言いました。
それを耳にして、
「あぁ。 これ、僕も、よく言われたなぁ ... 」
と、思いました。
僕の場合は、
僕が、泣いているときに、
よく、こう、言われました。
「泣くんじゃないよ!」
「泣くんじゃないよ、男なんだから。」
そう言われたとき、
僕は、
「あぁ、泣いてるなんて、自分は『ダメ』なんだなぁ」
「泣くに至る状態・原因になった自分も、そもそも、『ダメ』だなぁ」
「しかも、泣くのを止められない自分は、さらに、『ダメ』だなぁ」
そんなふうに、繰り返し、思っていたことを、
思い出しました。
前述 の通り、
ハワイに行って、
これまで、僕が、「『ダメ』な自分」を、
認められていないこと、許せていないことを、
再認識させられました。
そのときに気づいたのは、
主には、母との関係から、
それを握ってきたとの、認識でした。
そして、
その気づきを得た、ハワイの地の、おみやげを持って、
両親を訪ねた結果、
そこでも、また、
これまで、「『ダメ』な自分」を、許せていなかったことに、向き合い、
そして、今回のそれは、
父との関係から受け取った、
「『ダメ』な自分を、認められない・許せない」
でした。
両親に、ハワイのおみやげを渡した結果、
僕も、ハワイから、おみやげを受け取った感じで、
とても面白く、
とてもありがたく、思いました。
そして、
「『ダメ』な自分」が、いまのテーマであることを、
改めて、再確認しました。
「泣かれるのが嫌いだから、止めなさい!」
「泣いてる声を聞くのが嫌だから、泣き止みなさい」
僕が、父から、そう、直接、言われたことが、
あったのか、無かったのかは、記憶がはっきりしませんが、
でも、どちらにしても、
父が、父本人が嫌だから、そう、言っている、
という認識は、子どもの時から、ありました。
そして、そのことが、
実は、さらに、僕を、傷つけていました。
「男なんだから」
などという、理由・理屈を持ち出していながら、
しかし、言っている動機は、
父本人の感情に由来していることは、
僕にとっては、明白でした。
そして、
そもそも、僕が、苦しんでいる状態なのに、
それが、嫌だからと、
父である、親である、大人である人が、
本人の感情ゆえに、それを否定してくることが、
なにか、『僕』という存在を、
軽んじられているというか、
ないがしろにされているか、
そのような感じがして、
そして、それが、
なにか、よけいに、
「『自分』は、ダメだ」
「『僕』には、価値がない」
「『ダメな自分』は、ダメだ」
という気持ちを、
強く、感じていたように、思います。
そんなことも、
同時に、思いました。
今となっては、
大人になった、今となっては、
浄化も進んできた、今の僕としては、
そんな父を、恨むような気持ちは、
もう、あまり、ありません。
むしろ、それよりも、
なぜ、父が、そんな状態だったか、
なぜ、父が、そんなことを言わざるを得なかったのか、
そこに対する、
自分なりの推測や、
そこに対する「同情」のようなものすら、
持つようになっています。
父は、戦前の生まれで、
戦時中、空襲によって、
自分の父親を亡くしています。
そもそも、戦時中には、
多くの方の、悲鳴や、鳴き声を、聞いたことでしょう。
しかも、
自分の父親を亡くした際には、
妹がいて、弟もいて、母親もいました。
その人たちの、
悲鳴や、鳴き声を、
声にならない、音にならない、
悲鳴・鳴き声も、
嫌というほど、聞かされたことでしょう。
耳を塞いでも、意識をそらせても、
聞こえてきたことでしょう。
ですから、
誰かの悲鳴・鳴き声を聞けば、
特に、近親者の、悲鳴・鳴き声を聞けば、
その時の様子を、その時の感情を、
フラッシュバックして、見ざるを、感じざるを、得ないことでしょう。
そのことだけでも、
十二分に、同情せざるを得ません。
しかも、
当時、
父本人は、自分の感情を、出すわけにはいかなかったと思います。
自分の父親が亡くなって、
長男として、その父親代わりに、
兄弟たちを、母親を、支えなければならなくなりました。
自分の感情を出すわけには、いかなかったと思います。
自分の感情に、素直に、向き合っているわけには、
いかなかったと思います。
自分の感情を、素直に、認めているわけには、
いかなかったと思います。
そうなると、
「感情の露出」そのものに対する、耐性が低いでしょうし、
さらには、
簡単に、自分の感情を露出する、僕の娘に対して、
不平等感を、憤りを、感じても、不思議ではありません。
そんなふうに、推測し、
そんなふうに、思っていると、
もう、父に対する、
恨みみたいなものや、憤りみたいなものは、
少なくても、そのことに関しては、
ほとんど、湧いてきていません。
そして、
恨み・憤り・怒りが、出てこなくなると、
そのことに関して、
新たな気持ち・感情を、
上積みすることが、付加することが、無くなりますし、
過去の感情を、手放しやすくなります。
とても楽な状態になり、
「新たな段階」という感じになります。
ただ、
とても楽になり、
そして、過去の感情を手放しやすくは、なりますが、
ただ、
それで、自動的に、
過去の感情が、浄化されているわけでは、ありません。
そういう、それだけで浄化されてしまうブロックも、
なるにはあるかもしれませんが、
基本的には、大部分は、
それはそれとして、厳然と、残っていて、
改めて、
それらを認め、受け入れ、溶かし、手放してあげる必要があります、
もし、それらを手放すのであれば ...
ただ、
前述の通り、
以前に比べれば、とても「手放しやすく」なっています。
これまでの、
重く固い「蓋」が、取れたような状態です。
重く固い蓋が取れ、
器の『中身』を、
しっかりと、覗き込み、
じっくりと、向き合ってあげることが、
とてもしやすくなっています。
場合によっては、ものによっては、
『中身』そのものが、
器から溢れ出てきて、
向こうから、手のひらに乗ってくるかもしれません。
それをただ、
眺めてあげ、話を聞いてあげれば、
いいだけかもしれません。
いま、
僕の場合は、
いままでとは、
すこし、色合いの違う、『中身』を、
いままでとは、
すこし、階層の違うところにある、『中身』を、
見つめていきたいと思います。
2017年2月22日水曜日
津留さん誕生日 & 第6回大阪イベント開催のお知らせ
今日、2月22日は、
津留さんの誕生日です。
「生きていたら、71歳だそうですよ」
朝、写真に向かって、
そう、言ってみたら、
「それで?」
そう、言われたように感じました ^^ 。
ホント、
「で?」
ですよね ^^ 。
いろいろな物事に貼付けている、
意味・想い・情報などを、
あらためて、溶かし、剥がしていこうと、
あらためて、思いました。
津留さんからの、
「津留さんの誕生日」の、プレゼント、
素直に、受け取りました ^^ 。
さて、
そんな、今日、2月22日ですが、
お知らせがあります。
2017年4月28日(金)、29日(土)、30日(日)に、
大阪市で、6回目となる、
『浄化実践講習会』『津留さん交流会』『個人セッション』を行います。
ここのところ、
「大阪では、次回、いつ、開催しますか?」
とのお問い合わせをいただいて、
そこで、日程調整し、開催を決める、
ということが、続いています。
とてもありがたいことだと、
感じるとともに、
その「流れ」のようなものに、従えていることに、
不思議な感じも、しています。
大阪での開催も、
もう、6回目となります。
毎回、楽しく、
毎回、学び・気づきがあり、
僕としては、とても、楽しみにしています。
ゴールデンウィークの前半、
お忙しい時期かもしれませんが、
大阪・関西地区のみなさんに、
また、お会いできることを、楽しみにしています。
ご興味がおありの方は、
どうぞ、ご参加・お申し込みください。
よろしくお願いします。
詳細・お申し込みは、『 第6回 大阪イベント 』 のページをご覧ください。
2017年2月22日 集合人編集局 ひで
2017年2月16日木曜日
2017ハワイ旅行 サウスポイント・「ダメな『自分』」を認める
今回の、ハワイ旅行で、
僕が、一番の気づきを得、
それゆえに、
一番書きたいと思ったことが、
一番お伝えしたいと思ったことが、
最初に、書けました。
後々、旅行記内での順序を、変えると思いますが、
せっかく書けたので、
さっそく、掲載したいと思います。
--------------------
「未舗装」「ダート」
「4WDが必要」と聞いていた、
そのアプローチ道は、
結局、最後まで、
見事に、綺麗に、舗装されていて、
あっけないほど、簡単に、
僕たちは、
ハワイ島の最南端(かつ、アメリカ合衆国最南端)、
サウスポイント( South Point )に、たどり着けました。
風は、
たしかに、絶え間なく、吹き付けてはいますが、
「身体を揺さぶられるほどの強風」ということもなく、
波も、
確かに、岩壁に打ち寄せてはいますが、
海面は、穏やかで、
泳ぐ魚も、海底も、すっきりと、見えています。
雲も、
背後にこそ、どんよりと、立ちこめてはいますが、
わたしたちの上空と、目線の先である、南側には、
ほとんどなく、
厳しいまでの陽ざしが、燦々と、降り注いでいます。
その、アプローチ道の滑らかさも含め、
事前に想像していたのとは、かなり違って、
なかなかに穏やかな場所が、そこにはありました。
やって来ました、
サウスポイント に。
「南端」であることから、
東(左側)と西(右側)が、くっきりと見渡せ、
正面から押し寄せる潮も、
左右に、すっきりと、分かれていきます。
「人生の岐路に立っているとき、
進路に迷っているとき、
何かを決めかねているとき、
停滞しているとき、
そんなときに、
『どう進んだらいいのか』を、
気づかせてくれる場所」
そんなふうに、言われているようです。
僕自身、この場所を訪れたら、
「何を感じる」のか、
「何を気づく」のか、
「何を得られる」のか、
実は、密かに、
しかし、しっかりと、
期待していた場所です。
そこに、
たどり着くことができました。
何を「感じ」「気づき」「得られる」か、については、
実は、密かに、
しかし、明確に、
期待していた「こと」があります。
シャスタで出会い、
僕たちに、ハワイ島行きを勧めてくれた、
「ハワイ島通」の方が、います。
今回、その方には、連絡を取り、
「おススメの場所」を、いくつか、
教えていただいていたのですが、
その方が、
一番に、薦めてくれた場所が、
サウスポイントでした。
後々、その方のブログを読み、
その理由を調べていると、
どうやら、その方は、
サウスポイントから、海に飛び込み、
それを実行できたことから、
10m強の高さから、海に飛び込む際に直面する、
「恐怖」に向き合い、
それを克服して、飛び込めたことから、
自らの「恐れ」を乗り越えて、
精神面で、「自由」になり、
それゆえに、行動面でも「自由」になり、
それ以降、跳躍するような人生を、歩まれているようです。
そのきっかけに、
なっている場所のようでした。
それを知った僕も、
実は、密かに、
「そういうことなら、飛び込んでみようか」
と、思っていました。
サウスポイントで、
「何かを『得る』」というよりは、
むしろ逆に、
「恐怖心を『捨てる』」ということを、
期待していました。
そして、それによって、
「『自由な自分』を『得よう』」と、
期待していました。
そんな心持ちで、見下ろす、
サウスポイントの崖の上からの、海面は、
高さ10数m、
岩壁に打ち付ける波、
潮のうねり、にもかかわらず、
不思議なほどに、
それほどまでには、怖くはありませんでした。
着いてしばらくすると、
準備万端だった、一人の男性が、
飛び込み、
その後も、
青年が一人、
僕らの目の前で、飛び込み、
そんな様子を見ていると、
不思議なほどに、
それほどまでには、怖く感じてはいませんでした。
ですが、
でも、なぜか、
「じゃあ、飛び込むぞ!」
という気持ちには、なりませんでした。
そういう意味では、
実感できていた以上に、
怖さがあったのかもしれません。
また、
直前に、二人もの人が飛び込んでいたので、
それが逆に、
「自分が飛び込まなきゃ」
という気持ちに、ならなかったのかもしれませんし、
場の雰囲気も、
「誰か飛び込みなよ」
という感じに、ならなかったのかもしれません。
とにかく、
僕の体感としては、
「流れ」が、
僕に、飛び込むことを期待する、
というようには、
まったく、なりませんでした。
実は、
この、二人目が飛び込んだときには、
実は、
特別な「流れ」が、ありました。
実は、
その直前に、
娘の被っていた帽子が、風で吹き飛ばされ、
海に、落ちてしまっていたのです。
そんな状況ならば、
「よし、じゃぁ、僕が取ってくる」
そんな気持ちになってもいいようなものですが、
しかし、不思議なのですが、
「飛び込もうか」と思っていたはずの僕なのに、
そのとき、
そんな発想が、まったく、浮かんできませんでした。
また、
「海に入って、取ってきて」
と、
僕が、頼まれるようなことも、
流れとして、生まれてきませんでした。
それどころか、
それ以前から、飛び込もうとしていた青年が、
その、娘の防止の落下をきっかけに、
サッと、飛び込んでくれて、
帽子を、取ってきてくれました
(ちなに、完全に蛇足ですが、
この青年、
映画や絵画でよく出てくる。
「これぞ、ジーザス」って感じ、そのものでした ^^ )。
そんな、
「絶対に、飛び込むぞ!」
と、
意気揚々と、勇んで、来たわけではなく、
「それなら、飛び込んでみようかな」
「飛び込んだほうが、いいかな」
程度で、来ていたことと、
その、
「飛び込みなよ」
「飛び込んで」
とは、ならなかった「流れ」から、
結局、あっさりと、
僕は、飛び込むこと無く、
サウスポイントを後にすることにしました。
とはいえ、
車に乗り込むまでの、歩き道、
車に乗り込んでからの、運転中も、
「あぁ、結局、飛び込まなかったなぁ」
と、
残念だったり、すこし情けなかったり、
そんな感覚は、上がってきていましたし、
そんな思考が、巡ってきていましたので、
それらを、しばらく、
感じ、眺めていました。
そのとき。
「強い意気込み」「強い決意」にもかかわらず、
飛び込めなかった
というわけではなかったおかげで、
「飛び込めなかった『自分』」を、
強く否定する想いは、湧いてきませんでした。
「飛び込んで」「飛び込みなよ」という期待にもかかわらず、
飛び込めなかった
というわけではなかったおかげで、
「飛び込めなかった『自分』」を、
強く非難する想いは、湧いてきませんでした。
「飛び込めなかった『自分』」では、ありましたが、
しかし同時に、
「飛び込『ま』なかった『自分』」でもあるように、
感じていました。
「できなかった『自分』」に、
「ダメな『自分』」に、
人生で初めて、
無批判で、無否定で、
そのままで、柔らかく、
接することができていました。
そんな気が、しました。
すると、
無批判で、「ダメな『自分』」に、接してたことで、
「ダメな『自分』」の、深いところに、
入っていくことができました。
無批判な僕に、
防御する必要も無く、
胸襟を開いてくれたのでしょうか、
「ダメな『自分』」の、
これまで、存在すら、感じることのできなかった、
領域に、層に、
降りていくことができました。
そこを、眺めることができました。
そこに、触れることができました。
そこを、感じることができました。
幼く、細かく、柔らかく、
繊細で、うぶながら、しかし、固い意思を持った、
そんな領域でした。
そのとき、
人生ではじめて目にする、
「残念そうな、母親の表情」が、見えました。
それが、
客観的な事実として、目にしたことのある、
母親の表情なのかは、分かりませんが、
もしかしたら、
僕の中で、想像で作り上げた表情なのかもしれませんが、
いずれにせよ、
「母親の、残念そうな表情」が、見えました。
おそらく、
僕が、
この人生において、最初の、そして、強い、
「こころの痛み」を、感じたのは、
「母親の、残念そうな表情」
「母親の、残念そうな気持ち」
なのでしょう。
そして、
それ以降、
母親に、「残念さ」を感じさせた、
「ダメな『自分』」を、
僕は、自ら、
強烈に、猛烈に、不必要なまでに、
否定し、批判していたのでしょう。
そんなことを、感じました。
これまでにも、
「ダメな『自分』」を否定していることは、
明確に、自覚していました。
ただそれは、
小さい頃、学生時代に、
勉強も、運動も、よくできた、という、
そんな事実から、育ち上がった、
「強固なエゴ」が、
「できる『自分』」こそが、
アイデンティティーであると、
稚拙ながら勘違いした、エゴが、
ある種、3次元的な意味で、レベルで、
「ダメな『自分』」を否定しているのだと、
認識していました。
でも、
いま、気づいたのは、触れているのは、
もっと、原初的で、
もっと、深い階層での、
もっともっと柔らかく、
もっともっと生暖かい、
細やかで、うぶな、「ダメな『自分』」です。
その子が、
いま、初めて、
僕に、存在を明かしてくれました。
対面することを、許してくれました。
その子に触れて、
「ハートの領域」は、
溶けるように、揺らめき動いていました。
僕は、
「ダメな『自分』」を、受け入れていました。
「ダメな『自分』」を、認めていました。
「ダメな『自分』」も、
僕を、受け入れててくれていました。
ちょっとした『和解』が、成立しました。
まだまだ、「挨拶程度」であることは、自覚がありましたが、
でも、今後の、さらなる密なおつきあいは、
お互いに、約束することができたと、感じました。
初めてのレベルで、
僕は、
「ダメな『自分』」を、許せました。
初めての深さで、
「ダメな『自分』」を、認められました。
そして、今後、
「ダメな『自分』」を、さらに、認めていくことが、
「ダメな『自分』」を、さらに、赦し、受け入れていくことが、
僕にとっては、最重要であると、
理解できました。
今後は、
彼に、頻繁に、会いに行き、
彼の声を聞き、
彼の表情を見つめ、
お互いに、認め、赦し、受け入れ、
彼と抱き合い、融和することこそが、
僕にとっての、
一番の仕事であると、認識できました。
僕にとっては、
「飛び込めること」が、必要なのでは、ありませんでした。
「飛び込む」ことによって、
「恐れ」を手放すことが、克服することが、
必要なのでは、ありませんでした。
あるいは、
「飛び込めた」という、外なる成功が、
「飛び込めた」という、『良い』『強い』自分が、
必要なのでは、ありませんでした。
僕にとっては、
「飛び込めなかったこと」が、必要なのでした。
「飛び込めなかったこと」によって、
「ダメな『自分』」に、気づき、向き合い、
そして、
その、「ダメな『自分』」を、受け入れることこそが、
「恐れ」を認め、抱きしめ、溶かすことこそが、
必要なのでした。
これまでとは、
ある意味で逆の、別のアプローチこそが必要なのだと、
気づかせてもらいました。
その段階に、そのステージに来ているのだと、
教えてもらいました。
この、「ダメな『自分』」に触れられて以来、
これまでとは、すこし次元の違った、
穏やかさ、落ち着きを、体感できています。
サウスポイントは、
僕にとっても、
やはり、
最高に素晴らしいものを、必要なものを、
導き、与えてくださいました。
そこにたどり着けたことを、
その場に立てたことを、
それに関わってくださったすべてにも、
こころから、感謝しました。
そう、
認識できたとき、
そう、
思えたとき、
先ほど目にした、
あがった波しぶきが、映し出してくれた、
虹模様が、
一層、
こころに沁みてきました。
2017年2月14日火曜日
2017ハワイ旅行1 ご報告
2017年2月4日から、2月12日までの間、
集合人編集局としては、休業させていただき、
そして、家族で、
ハワイに行ってきました。
昨年、2016年の、アメリカ旅行記の、最後の記事の
その、最後のところに、
裕子さんが、
「次は、ハワイね」
と、つぶやいたことを、書きました。
僕個人としては、
「次」といっても、
そして、実際に行くとしても、
まさか、
こんなに早く、
その日が来るとは、思いもしなかったのですが、
前回の、アメリカ旅行から、
約半年後の、
2017年2月、
立春の日から、
ハワイ(主にハワイ島)に、
無事、行ってまいりました。
前回同様、
スピリチュアルなことに興味がおありであろう、
この記事を目にする方にとっては、
何か、参考になることがおありでしょうし、
そして、
これまた、前回同様、
僕自身にとって、
備忘的な意味が、
「旅の記録」的な意味が、ありますので、
次回以降、時間を見て、
旅の様子を、アップさせていただきたいと思います。
昨年11月の、大阪イベントの際に、
ご参加くださった方から、
「ひでさんは、『旅』をされている方なのですか?」
との、ご質問をいただきました ^^; 。
津留さん的なことや、
内面的なこと、浄化のことなどについては、
ここのところ、
一切、記事を書いていないので、
至極当然な、ご質問ですよね。
しかも、
それなのに、
このあと、また、
ハワイの旅行記を書く ...
すこし、
気が引けるところが、無くもないのですが、
ただ、
すこし深い意味においては、
僕自身は、完全な、
『旅人』
だと、
自覚しているので、
指摘されたことがあるので、
すみません、
どうぞ、お付き合いください ^^ 。
今回、ハワイでは、
純粋に、とても楽しむことができ、
そして、
とても素晴らしい体験を、してきました。
とても素晴らしい気づきを、得てきました。
このあと、
それを、シェアさせていただけたらと思います。
(海に流れ込む溶岩を、目にできました ^^ )
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