2018年10月20日土曜日
「サイト非表示」の件で
10月10日夜、
一通の問い合わせがありました。
「津留晃一さんのメッセージ集のサイトが、
突然、見られなくなってしまったのですが、
改善されるのでしょうか?」
その、お問い合せ内容に、ビックリして、
サイトを確認すると、
" Forbidden "
" You don't have permission to access ... "
と表示されるだけで、
トップページも、
メッセージ集も、
表示されません。
実は、その時は、
翌朝早くから大阪に向けて経つ、
その準備を終えたところ、
といった状況で、
準備を終えた、とはいえ、
翌朝も早いので、
きちんとした対処を取る時間が、
あまりありませんでした。
取り急ぎ、
最低限の対処をし
(お問い合せへの返答と、
サーバ管理会社への問い合わせ、
ならびに、新サイト及びこのブログでの状況告知)、
後は、裕子さんにお任せすることにして、
就寝。
翌朝は、
早朝に、大阪へ出発する予定でした。
翌朝。
予定より、早めに目が覚めたため、
改めて、サイトを確認すると、
やはり、まだ、" Forbidden " 表示のまま。
それを確認できても、
まだ、時間があったので、
そこで、
いつもよく見ている、
スポーツ関係のサイトやブログに、
いつものように、
一通り、さっと目を通すと、
そのうちの、一つのブログに、
なんと、
「 " Forbidden " 表示となり、ご迷惑をおかけしました」
なる記事が!
その、あまりのシンクロぶりに、
思わず声を漏らして、笑ってしまいながら、
その記事を読み進めると、
そのブログの場合には、
レンタルサーバへの料金不払いが、原因だったとのこと。
そこで、
「ということは、 もしや、やはり?」
という気になりました。
というのも、
今回、非表示となってしまった、
メッセージ集を掲載している、
元々の「津留晃一の世界」サイトについて、
先月、
「利用料が支払われていません」
という、料金未納の請求書を、
受け取っていたからです。
なので、
「もしかしたら、その件と関係があるかな?」
とは、
薄っすら、思っていたのですが、
しかし、
その請求に関しては、
即座に、支払いを済ませていたため、
「でも、まさか ... 」
という感じで、思っていたのでした。
ところで。
そもそも、
その、「料金未納」の件ですが、
料金は、
毎月、クレジットカードからの、自動引き落としになっていて、
本来なら、そもそも、
料金未納が起こるはずがありません。
なので、
請求が来たときには、
理由が分からず、
頭の中いっぱいに、クエスチョンマークを浮かべ、
二人して、途方に暮れていたのですが、
あるとき、
裕子さんに、閃きがやって来ました。
その、クレジットカード、
数ヶ月前に、
新たなカードが送られて来ていたのです。
そう!
分かってしまえば、
なんてことない話なのですが、
登録していたカード情報の、有効期限が切れてしまって、
それで、引き落としができなかったのでした。
でも、あれ、
カードの更新に伴って、
登録カード(情報)も、
自動的に更新される、のでは、ないんですね!
こっちで、
書き換えないと、いけないんですね。
それを、
全く知りませんでした。
それが理由で、
「料金未納」に、なっていたのでした。
それに気づき、
カード情報の更新と、
未払い分の振り込みとを、済ませたのが、
今から、数週間前。
ということで、
その一件は、
落着しているはずです。
そんな中、
今回起こった、出来事。
そのような事情から、
先の、「カード有効期限切れ」マターとは、
今回の件の原因が、結びつかなかったし、
また、
もし、それが原因だったとしても、
もうすでに、
カード情報も更新しているし、
未納分の振り込みもすませているので、
やはり、
それが原因とは、思えませんでした。
「であれば、
振り込み済みなことが、
あちらで、確認できてないのかな?」
そう思い、
改めて、その旨(振り込み済みである旨)を先方に伝え、
そこで、
大阪に経ちました。
タイミング的には、
大阪に入って、宿に向かっている最中でした。
サーバ会社から、
連絡のメールが来ました。
「振り込み済みの件、確認しました。
しかし、その前月の支払いが、まだ、確認できていません」
なんと、
その前の月も、
未納のままでした。
そして、
それこそが、原因でした。
その未納ゆえ、
サーバの利用を止められてしまっていたのでした!
その、さらに前月の未納分についても、
請求書を郵送している旨が、
しかも、
2度も、送付している旨が、
その返信メールには、書かれていました。
「えっ!」
慌てて、
裕子さんに連絡します。
「そんなハガキ、受け取ってた?」
1通だけなら、
もしかしたら、ありうるかもしれません。
ここのところ、
特に、雨が多く、
郵便受けも、びしょ濡れになって、
郵便物が濡れたり、郵便受けに張り付いてしまっていたり、
ということが、
あったからです。
でも、2度も??
調べてみても、
やはり、そのようなハガキ、
手元には、ありません。
しかも、この件、
ハガキ(郵送)での請求書が、
送られているそうですが、
メール(eメール)では、
そもそも、送られて来ていないんですよね ...
というようなことで、
改めて申し上げますが、
このたびは、
ご迷惑をおかけしました。
また、現在は、
きちんと表示されていると思います。
引き続き、
ご愛顧ください。
とは、申しはしましたが、
というような事情ということで、
私たちとしては、
なんというか、
避けようがなかった、というか、
もっとはっきり言っちゃうと、
こちらには、落ち度はなかった、というか ...
そんな心持ちです。
なんというか、
「(宇宙に)非表示に『させられた』」
といった、
なんというか、
そんな感じで、捉えています。
今回の件に関しては、
個人的には、
「自動引き落としにしているものでも、
ちゃんと、気をつけていないといけない」
という、
教訓を授かりました ^^ 。
そして、
もう一つ。
お金のことを、
何か、
委ねちゃっている、というか、
任せちゃっている、というか。
いえ、もう少し正確には、
委ね過ぎちゃっている、というか。
いえ、さらに正確には、
気に留めないようにしちゃっている、というか、
見ないようにしちゃっている、というか ...
何か、
そういった、自分の面を、直視せざるを得ない、
そういった、自分の側面に、向き合わざるを得ない、
そんなタイミングであることを、
指摘されているように感じました。
そう、捉えました。
今回の、大阪での津留さん交流会の中でも、
そう、感じ、
その場でも、お話しした内容なのですが、
どうも、僕は、
「想いを消滅させる」
という方面に関しては
(表現を変えると、「浄化」)、
これまで、
ある程度、きっちりして来たつもりですが、
「想いを遂げる・満たす」
ということに関しては
(表現を変えると、「願望実現」「引き寄せ」)、
何にか、
軽視しているというか、
蔑視しているところがあるというか、
そんな感じを、
印象として、持っていて、
どうも、そんなことから、
そこに、きちんと向き合ってこなかった、
対応してこなかった、
さらにいえば、
挑戦してこなかった、というか、
つまり、
「体験が不足していた」。
そんな印象を、
ここのところ、頓(とみ)に、感じていました。
過去記事「 見つめる 」でも書きましたが、
やはり、
都合の悪いこと、苦手なこと、好きじゃないこと
は、
見ないようにしてしまいます。
お金のことに関しても、
やはり、見ないように、気に留めないように、
無意識のうちに、してしまうところがあります。
特に、
「たくさん稼ぐ」
ということや、
「『いっぱい欲しい』という願望を認め、
それを叶える方向で対処してみる」
ということに関しては、
先に述べた、
「想い(欲)そのものを消して行く」
という方向性と、
正に、反するものである、ということがあり、
どうも、
軽視し、蔑(ないがし)ろにし、
それを加勢に、
向き合わない、対処しない、挑戦しない
というところが、あります。
もちろん、
それは、何も問題はありません。
中期的には、
誰しも、
「想いを消滅させる」方向に進むし、
自分の場合も、
その方向に、着実に、進んでいるところがある、
と、思っています。
そして、
それによって(その方向に進んで来たことによって)、
僕は、確実に、楽になって来ているからです。
基本的には、
僕は、今後も、
その方向に進んで行くことでしょう。
ですが、
であればこそ、余計、
その前段階において、
やり残していること、
体験し残して来ていること、
それゆえに、
納得し尽くせていないこと、
理解し損ねていること、
そんなことがあって、
それ故に、かえって、
今、進んでいる道のりが、
少し、停滞してしまっている ...
何か、
そんな印象を持っています。
今回の「事件」は、
そんな気づきに、
一つ、
物質的確証を与えてくれた、
というか、
そう進んでみることに、
きっかけを与えてくれた、
後押ししてくれた、
というか、
そんなことだったのかなぁ、と、
捉えているところです。
2018年10月16日火曜日
『第9回 大阪イベント』を終えて
2018年10月12日(金)、13日(土)、14日(日)の3日間、
大阪で9回目のイベントを、開催することができました。
前回が、5月でしたので、
その半年後の、11月を、当初、検討していましたが、
会場の都合から、
10月の、この時期での開催となりました。
ですが、結果的には、
最も気候的に快適で、心地よい、
この時期に開催できて、良かったです。
今回は、
「浄化ワークショップ」を行わず、
「個人セッション」と「津留さん交流会」を行いました。
結果、
個人セッションに4名、
交流会に10名、
計14名の方々に、お越しいただきました。
「個人セッション」は、
「4名」と書きましたが、
実際には、
「4組、6名」の方々にお越しいただきました。
というのも、
今回、初めて、
「グループセッション」を行い、
そのうちの「1組3名」は、
「グループセッション」だったからです。
僕としては、初めての試みでしたが、
この3名と僕は、
何度も顔を合わせている既知のメンバーでしたので、
とても楽しい、
また、深い気づきの得られる、
そんな、セッションとなりました。
また、その他3名方々には、
いつものように、個人セッションをさせていただき、
その中で、浄化のお手伝いをさせていただきました。
「津留さん交流会」には、
定員の10名の方々にお越しいただき、
とても楽しく活発な交流をすることができました。
今回も、たくさんの方にお会いでき、
そして、たくさんのお話を伺えて、
とても嬉しかったです。
みなさん、ありがとうございました。
またお会いできる機会があると嬉しいです。
集合人編集局 ひで
2018年10月10日水曜日
旧サイト「津留晃一の世界」が表示されていないことについて
2018年10月4日木曜日
台風24号(別個の宇宙)
台風24号の影響で被害にあわれたみなさまに、
こころより、お見舞い申し上げます。
2018年9月30日(日)。
その日は、ちょうど、
津留さん交流会の日でした。
2ヶ月近く前に、開催日を決定しましたので、
まさか、当日に、非常に強い台風が到来するとは、
夢にも思っていませんでした。
開催の数日前から、
「非常に強い」勢力のまま、
しかも、ちょうど開催当日にやって来るらしい、
ということが、分かっていたため、
前日には、
予約してくださっていたみなさまに、
「ご遠慮なく、キャンセルなさってください」
という旨のメールをお送りしました。
結果、4名の方々は、キャンセルなさいました
(あの時点での判断としては、
極めて当然で、とても賢明だったと思います)。
ですが、
蓋を開けてみると、
「本当に、近づいているの?」
とすら思えるほど、
台風の影響が見られないままに、
交流会も終えることができ、
主催者としては、胸をなでおろすことができた、
その夜。
予報どおりに、ようやく、
台風は、やって来ました。
ですが、
風こそ、それなりに強く吹きつけていましたが、
しかし、
雨もそれほど強くなく、
その影響もほとんどないものと、
高を括っていた、午前1時半過ぎ。
突然、
玄関チャイムが鳴りました。
同時に、
電話機も、音を立てて、なんらかの作動を始めました。
はじめは、
なんのことか分からず、
玄関をのぞいてみると、
強風で、門の扉が開いてしまっている様子が見え、
「なんだ、これを閉めろっていうことか」
と、
見えない存在からの、間接的な指示なのだろうと、
スピチュアル的解釈をして、門を閉め、
また布団に入るやいなや、
もう一度、
玄関チャイムと電話機が音を立てました。
そのとき、
事態がつかめました。
というのも、
起きあがった際につけた照明が、
一瞬消え、そして、ついたからです。
それら全てが、
同じタイミングで起きたからです。
「あっ。 停電か!」
玄関チャイムと電話機は、
一度停電し、その後通電したことによって、
それゆえに、初期作動を起こしていたようです。
停電と通電が繰り返されている、
ということが分かりました。
その後、さらに数度、
同じ現象が起こった後、
機器たちは、
完全なる沈黙に入りました。
本格的に、停電になりました。
ただ、
家族たちは、深く寝ているようでしたし、
水道は止まってなくて、トイレも使えましたし、
枕元には、懐中電灯も準備できましたので、
とりあえず、寝ることにしました。
翌朝。
やはり、停電で、
まだ、回復していませんでした。
普段とは、少し違った方法・手段で、
家族みなが、早めに、身支度を整えて、
一息つけたところで、
外の様子を見に行くことにしました。
手元の携帯で、ネットを調べたところ、
停電しているのは、
近隣の一部であり、
しかも、
近隣の中でも、
限られた一帯だけ、のようです。
興味から、その状況を調べてみよう、
というのとともに、
駅の様子や、学校の様子、
そして、コンビニが営業しているのかどうか
(何か緊急に必要なものが生じた場合、手に入れられるのかどうか)、
という、実用的な点からも、
周りの様子を見てみることにしました。
好奇心旺盛な、小学生の娘が、
一緒に来ることになりました。
幸い、
というのか、
いえ、不幸なことに、
なのか、
停電していたのは、
本当に、わが家の周りの一角だけでした。
隣の隣のブロックは、
信号も正常、自販機も正常。
行き交う人々の様子も正常。
聞こえて来る生活音も、正常。
電動の雨戸を開けている様子も、目に入りました。
駅・学校方面は、大丈夫なことが分かり、
反対方向のコンビニがどうなっているか、見に行きました。
こちらこそ、
どうやら、数ブロック、停電しているように思えましたが
(確認は取れませんでしたが)、
しかし、
調査目的のコンビニは、
全く通常どおりに、営業していました。
お客さまが殺到しているようなこともなく、
やはり、停電しているのは、ほんの一部のようです。
僕は、少し安心して、
家に向かいました。
その道中。
娘が、口を開きました。
「電気ムカつく。
止まるなんて、ムカつく。
うちの周りだけつかないなんて、すごい頭に来る」
その言葉に、
ビクッとしました。
確かに、
その感想そのものは、理解できます。
ましてや、
うちの娘の想いだとすれば、
なおさら、納得もできます ^^; 。
ですが、
そのときの僕は、
停電地域も、影響も、
極めて限られていることを知って、
安堵したのと同時に
(ということは、
わが家付近の復旧も、そう、遠くないでしょうから)、
普段当たり前に使っているものたちのありがたみを、
「電気」のありがたさを、恩恵を、
身に染みて感じ入り、
感謝していたタイミングだったからです。
その自分と、
まさに正反対ともいえる感情を娘が感じていることに、
わずかですが、反射的な驚きのような反応を、
感じました。
結局、
そのわずか数十分後には、
電気は復活しました。
停電時間は、
通算で、6時間強。
しかも、
そのうちの大半の時間が、睡眠中だったことを加味すれば、
実質的に影響を受けたのは、
2時間弱。
おかげさまで、
その程度の影響で済みました。
静岡県内では、
今日、10月4日現在でも、
まだ、停電している地域があるようですね。
そのご不便、
そして、ご不安、ご心配、
いかばかりかと、心よりお見舞い申し上げます。
今回の、
たった(実質)2時間ほどの停電でさえ、
不便と、不安を、それなりに感じました。
ましてや、
何日も、それが続けば、
不便も、指数級数的に累積されることでしょうし、
不安や心配も、飛躍的に増幅していかれることでしょう。
そして、
このような、停電の影響は、
今年の日本列島では、
各所で、みられましたよね。
のみならず、
北海道ので地震や、
大阪での地震・台風、
岡山・広島などの西日本での豪雨災害 ...
そこでは、
「利便性が損なわれる」状況をはるかに超えた、
「生命の確保・存続が危ぶまれる」ほどの状況すら、
ありましたよね。
各地で、
様々なご不便、恐怖、不安を、
深く、強く、強烈に、お感じになられた方々が、
多数、おいでのことと存じます。
今回、
僕自身が、軽度の影響を体験することによって、
これまで以上に、
それらの方々に対するお見舞いの念を、
しっかりと感じることができました。
同時に、
繰り返しになりますが、
「電気」「文明」というもののありがたさを、
改めて、素直に、
感じることになりました。
ともすると、
僕の場合、
それらを否定してしまいがちな傾向があるのですが
(「エコロジー」的な観念・観点が強固なので)、
今回、改めて、
それらを、それらの存在を、
肯定し、感謝することができました。
これら、
僕にとっては、
とても大きな意義のある体験ができました。
さて、
前置きがとても長くなりましたが、
このブログ的な内容についても、
最後、一言、
触れたいと思います。
今回の停電を体験した件では、
娘と僕とは、
いわば、正反対の感情体験をしました。
そして、
それこそが、
まさに、
「私たちは、一人ひとり、
別々の、独自の宇宙に居る」
ということの、
一つの意味です。
いわゆる「客観的」と呼ばれるような視点から見れば、
娘と僕は、
全く同じ事実を、共通した同じ現象を、
体験しているはずです。
しかし、
そこから感じること、
「感情的な体験」は、
全く別個であり、
しかも、
内容的には、正反対ですらあります。
このとき、
「いや、共通の同じ事実・現象を体験しているのでは、ないのだ。
そもそも違う現象を体験をしているのだ。
だから、異なる感想を、感情を、持つのだ」
と、
ある種、『便宜的に』考えてしまうこと。
『都合がよいように』認識してしまうこと。
それが、
「それぞれに、それぞれの宇宙」
「宇宙が違う」
というときの、
『一つの意味』『一つの捉え方』です。
もし、
そのように「都合よく」解釈してしまうことに抵抗がおありでしたら
(もし抵抗がなければ、そのように解釈し、認識してしまってください。
とても楽に生きる、大きな秘訣になります)、
たとえば、以下のように考えてみてください。
娘と僕は、
仮に、その「停電時」という時点においてには、
同じ共通の現象を(宇宙を)体験していたとしても、
しかし、それ以外の部分では、
違う現象を体験しています。
例えば、
娘が小学校に行き、
そこで、学校生活を体験している最中、
僕は、例えば、
個人セッションをしている、
などのケースがあるわけですが、
そのように、
たとえ、どこかでは、
共通の宇宙を体験していたとしても、
その場合であっても、
それ以外の、それ以前の場面では、
それぞれに違う宇宙を体験していれば、
今現在体験している宇宙は、
それらの宇宙を体験してきた後の宇宙であり、
それらの宇宙を経由した後の宇宙であり、
つまり、
それらが積み重なり、積算された結果の、
今現在の、その時点での宇宙は、
あるいは、
それらを経由した結果の、
現時点での宇宙は、
各人が、それぞれに、違う、
と、いうことができますよね。
その結果、
仮に、
「現時点」という一点での宇宙は、共通していたとしても、
結局のところ、
個人個人の、「総体としての『宇宙』」は、
それぞれに、違う、ということであり、
その結果、
そこから体験すること、感じる感情は、
それらの相違によって、異なってくる、
ということになります。
その、
「積算された部分」や、
「経由してきた部分」というものを、
私たちの「外的な宇宙」ではなく、
私たちの「内的な宇宙部分」として認識した場合には、
それらが、それぞれ、
独自の、「エネルギーブロック」として把握されます。
そして、
上記表現は、
「私たちは、それぞれ、独自の体験を経た結果、
私たちは、それぞれ、独自のエネルギーブロックを有しており、
それらから受ける影響が、それぞれ、独自なために、
私たちは、それぞれ、独自の宇宙に住んでいる」
という表現になります。
まさに、
津留さんが表現しているとおりの、
認識です
(「それぞれに、独自のサングラスをかけて、
世界を見ている」なんて言い方も、されますね)。
以上のように、
「私たちは、それぞれ、別の宇宙に住んでいるのだ」
と、思えてしまえば、
その場合には、
それぞれが、それぞれに、
別個の感想を持つに至ったり、
別個の意見や価値観を持つに至ったり、しても、
それは、至極当然のことと、
思うことができるわけですが、
しかし、私たちは、
「体験している現象は、
みなに共通する、同一の、一つの、『事実』である」
と、
社会通念的に、
それゆえ無意識のうちに、
そう、認識しています。
そして、
だからこそ、
そこから発生し、受け取り、体験する、
「感情(体験)」にしても、「価値観」「観念」にしても、
同じもので然るべきだ、と、
と、無意識のうちに、
認識しています。
特に、
今回の僕のケースのように、
片一方が「親」であり、
もう一方が「子」であるケースなどは、
「なんで、そんな風に思うの?
なんて子供なの?
それは、不謹慎で、ダメよ!
こう思いなさい!」
と、
自分とは違った感想を持ったり、
自分とは違った感情体験をしている他者を、
否定しがち・批判しがちです。
そして、
その認識こそが、
苦しみの原因であったり、
困惑の原因であったり、
あるいは、
対立の、闘争の、原因になったりします。
「そもそも、同じで然るべき」
という認識は、
同じであって、「普通」であり、
違うと、「問題」です。
同じであって、「0」で、
違うと、「マイナス」です。
減点評価で、
不幸になりがちな捉え方です。
対して、
「そもそも、違っていて、当然」
の認識は、
違っていて、「普通」「0」。
もし同じならば、
それは、「ラッキー」で、「プラス」。
そんな捉え方です。
加点評価的な、捉え方で、
こちらの方が、より幸福感を味わいやすいです。
なので、
「こんな風に認識した方が、楽ですよぉ」
というのが、
津留さんが伝えたかった、一番ポイントなんだと、
僕は理解しています
(津留さんの場合には、
『真理』として、
別個の宇宙に存在している、と、認識していたとも、思いますが)。
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