2015年3月31日火曜日
いただいた、個人セッションのご感想
昨年、2014年10月に、
わたしたちの個人セッションを受けてくださった、
ある方が、
個人セッションのご感想と、後日談を、
数日前に、メールで、
お寄せくださいました。
ご本人の了承を得て、
ここに、みなさまに、
シェアさせていただきます。
『浄化』というものが、どういうものなのか、
その一例として、
ご参考にしていただければと、思います。
なお、
メールとしては、まず、1通くださり、
その後、
こちらの返信に対して、さらに1通、
計2通、いただきました。
その内容を、そのまま、
以下に、掲載させていただきます。
( Nさん、ありがとうございました ^^ )
ひで
——————
セッションでは、両親への想いを一緒に浄化して頂き、ありがとうございました!
帰り道は、心も身体も軽くなりました♪
セッション後に会った友人にも「顔が優しくなった」と言われました(^-^)
その後も、両親への想い、こうして欲しかったとか寂しかったことなどを、
状況を思い出しながら浄化し続けています。
セッションの時には、同居している弟共々、無職で、好きなことをやって遊んで
過ごしていました。
その時には、この先自分が何をやったらいいかわからず、貯金が減っていくことに
恐れがありましたが、その度に、お金に対する恐れを感じて手放し続けました。
すると、しばらくして弟が働きだし、私を養えるほど稼ぐようになったのです。
これまでの私の人生は、両親がいなくなってからは、私が弟二人を養わなくては
いけない、私が働かないと生活できない、いつもお金に苦労する…
など思っていました。
弟にも対しても、お金は入れてくれない、稼ぎが少ない、どうしようもないと
レッテルを貼っていたことに気付き、それらを手放していくと、
弟は別人のようになりました。
自分の握っていた観念通りに現実が創られていたことを実感しました。
私は相変わらず無職ですが、何もないけれど今が一番幸せを感じています。
私が、これから何をしたらいいか焦る気持ちもありますので、強迫観念などを
手放して行こうと思います。
裕子さんとひでさんのセッションのお蔭で、今までとは違う世界にいる感じです♪
お礼をお伝えしたく、メールしました。
本当にありがとうございました(^-^)/
——————
私は、無職でやることがないので(笑)お金を使うたびに沸き上がる「使うとなくなる」
「お金がないと困ったことになる」「貯金が減るのが怖い~」と言いながら、
胸に手をあて感じきり手放すことを毎日のようにやっていました。
すると、だんだん使うときの恐れが減っていき、浄化を続けていくうちに、
今までお金が必要な時は、どこからか入ってきてたし、結局困ったことはなかったと
気づきました(^^;)
ですが、今も完全にお金に対する恐怖がゼロになったわけではないので、
感情が出たら感じて飛ばしています。
弟に対しても、こういう弟だと決めつけていたこと、例えば、お金を使われたり、
キレられた場面を思い出しながら、感情を感じて手放していきました。
私の弟への決めつけが消えると、弟がまさに…別人28号!?です(笑)
一人では感情を感じて手放す方法がうまくできなかったので、セッションで一緒に
やってくださったお蔭です。
あの時のやり方を思い出して、手放しています。
何でもそうだと思いますが、コツコツやり続けていくと、見えてくる世界があるん
ですね。
今まで何かを継続することは苦手でしたが、やれば心が軽くなる実感があり、
周りが変わったように見える… 実際は、自分の内側が変わったわけですが、
やっただけ変わるので、やめられません(笑)
私の体験談が誰かのお役に立てるなら喜んで!
どうぞ使って下さい(^∇^)
また、裕子さんとひでさんに会いに行きますので、その時は、よろしくお願い致します。
2015年3月6日金曜日
3月6日、満月、啓蟄
ここ、千葉県市川市では、
3月に入って、急に、
梅の花の開いた姿を、目にするように、なりました。
3月3日、桃の節句。
義母、山口潤子が亡くなって、
ちょうど、一年が経ちましたが、
この日、
お墓に向かう、道すがらも、
見事に咲き誇った、梅の木々が、
随所に、見受けられました。
さて、
今日は、3月6日。
音でいうと、みろく(三六・弥勒)に当たる、本日は、
ちょうど、
月齢でいうと、満月であり、
二十四節気でいうと、啓蟄です。
「みろくが、満ち、そして、現れ出(いで)る」
そんな、日、ですね。
あるいは、
後世において、振り返ったときに、
そんな日だった、と、思い返すかも、しれません。
そんなことを、感じさせるかのように、
今日に入って、
震度『3』の地震が、
北海道と、沖縄(宮古島)と、伊豆大島と、で、
起きたようです、
日本の、
北と、南と、真ん中と、で ...
ふだん、僕は、
「自分の、内側を、観察すること」
の重要性を、
自ら実践しながら、お伝えしています。
おそらく、これからも、
「内側」のことを、「内側を見つめること」を、
お伝えし続けると、思います。
ですが、それは、
「『内側』だけが、重要である」
とか、
「『内側』だけに、真実がある」
とか、
そのような、理解・認識のもとに、
「内側」のことを、お伝えしているわけでは、ありません。
「『外側』のことは、重要ではない」
とか、
「『外側』には、真理は無い」
とか、
そのようなことを、申しているわけでは、ありません。
外側は、重要です。
外側にも、真理はあります。
外側と、内側とは、等価です、
だって、
「『内側』が映し出されたものが、『外側』」
なんですから ...
ただ、
わたしたちは、みな、
これまでの、習慣で、
自然自然と、無意識のうちに、
『外側』のことを、
『外側』のこと『ばかり』を、
意識し、見つめ、気にしています。
ですので、
「意識して」、『内側』のことを、見つめる、
という訓練が、とても、重要です。
『内側』を観察することを、習慣づけることが、
とても、重要です。
それを、相当期間、集中して行って、
はじめて、ようやく、
『内側』と『外側』とを、等しく、見ることができるようになります。
はじめて、「等価」だと、見なせるようになります。
感じるようになります。
ようやく、
「『内側』が映し出されたものが、『外側』」
だと、腑に落ちるようになってきます。
体感を持って、納得できるようになってきます。
そうして、はじめて、
『内側』と『外側』が、ニュートラルに、なってきます。
基本的に、わたしたちは、みな、
今回の人生を、
「『外側』だけが、重要」
から、スタートしています。
ですから、
わたしたちは、一旦(いったん)、
「『内側』こそが、重要である」
「『外側』のことは、気にならない」
に、行くことが、とても重要です。
そうなって、はじめて、
自然と、意識する必要なく、勝手に、
「『外側』の真価」
に、気づくことになります。
そうなって、はじめて、
「『外側』との、つきあい方」
「『外側』との、距離感」
を、
自然と、見いだすのだと、思います。
そうなって、はじめて、
『外』と、『内』が、
『エゴ』と、『神』が、
『小我』と、『大我』が、
等しく、偏ること無く、同時に、存在し得ます。
現れ出て来ます。
「『どちらか』の世界」から、
「『どちらも』の世界」に、移り住みます。
そのとき、
この世界は、もう、二極では、ありません。
それこそが、
みろくの世、なのかも、しれません ...
今日は、3月6日、みろくの日。
『大我』・『集合意識』としての、わたしたちは、
この日に、
「満月」を合わせ、
「啓蟄」を合わせてきました。
このことが、いったい、どのような意味があるのか、は、
一人ひとりの、
「『外側』の見え方」によって、違っているかも、しれません。
「『大我』・『集合意識』としての、わたしたち」
という言葉が、
どれだけ、『私』であると、感じていらっしゃるか、によって、
違っているかも、しれません。
ですが、いずれにせよ、
わたしたちは、みな、誰一人残らず、
全体としては、「『神』へ還る道」を、順調に、
歩み進んでいるものと、
僕個人は、認識しています。
これからも、
いまだ、『他人』と見える、みなさまと、
いまだ、『他人』と感じる、みなさまと、ともに、
楽しく、このゲームを進め、
そして、『苦しく』、この生を、全うしていきたいと思います ^^ 。
今日、この日に、
そんなことを、感じました。
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