2018年5月30日水曜日
「できる」ということ
もう、ずいぶんと昔のことになりますが、
『オーラの泉』というテレビ番組で
(もうずいぶんと、昔のことになりますね ^^ )、
ある俳優さんが、
数日で、英語を話せるようになった、
という逸話を、告白されていました。
その話に対して、
美輪さんも、江原さんも、
至極納得という感じに、受け入れられていました
(たしか、「前世がアメリカ人だから」、というようなことでした)。
また、
ある、人気ブロガーさんは、
その方は、世界の科学的内容の記事を、
日本語に翻訳して、ご紹介されているのですが、
その方は、
ある日、目を覚ましたら、突然、英語が読めるようになっていた、
のだそうです。
事の真偽は、
確かめようがありませんが、
ここで、この文章を目にしていらっしゃる方は、
それらを、一応、「あり」として、進めることに、
さほどの抵抗はないのではないか、と、推察し、
では、
もし、そのようなことが起こりうるのだとしたら、
では、どうして、そのようなことが可能なのか?
ということに関して、
以下、一つの見解を(「津留さん的見方」を)、
述べたいと思います。
それにあたって、
まず、
ある、僕自身の、個人的な実体験を、
一つの事例として、紹介させてください。
僕は、
高校時代、ラグビーを部活でやっていたのですが、
高校入学にあたってのストレスから、
中学卒業の近辺に、10Kg以上、体重を増やしてしまったため ^^; 、
ラグビー部入部当初は、
身体(の重さ)を持て余し、身体の扱いに慣れず、
それゆえ、足が遅かったです。
「足が遅い」というのは、
当然ながら、周りの部員たちとの比較での判断・認識で、
一般的には、どうだったのかは、置いておいて
(クラスの中では、確かに、遅くなかったですが)、
とにかく、ラグビー部においては、足が遅く、
そのため、走ることが含まれる練習は、僕にとっては辛く、
また、担当(ポジション)としては、
パワー系の役割を担っていました。
そんな状況が、10ヶ月近く続いた、ある日。
その日、何が、それまでの日々と、違っていたのか、
今や、もう、何一つ、全く、記憶してはいないのですが、
とにかく、その日の、練習の、ほぼ最後。
いつものように、
蹴られたボールを、みなで追いかけ、
まず一人がそれを拾い上げ、そしてそれをみなでパスで繋いで運んでいく、
という練習が始まりました。
はじめに拾う一人は、
蹴った人が、名前を呼んで、指名していました。
僕の名前が呼ばれました。
声を上げて返事をし、
そして、とにかく、一目散に、ボールに向かって走り、
そして、ボールを拾い上げました。
走るのが遅く、苦手に感じていた僕は、
いつものように、周りに迷惑をかけないように、
懸命に、ボールに向かって走りました。
そのときは、ボールを、すんなりと、拾うことができたため、
そこで、横で待っているであろう人に、すぐにパスして渡そうと、
横を見たときです。
いつもであれば、
足の遅い、僕が拾うケースでは、
仲間たちが、
僕のペースに合わせて、ゆっくりと走り、
僕が拾い上げるタイミングでは、
ずらっと、横に並んで、勢揃いして待っている感じでした。
ところが、その日は、
いつものように、すでに横にいるであろう仲間にパスをしようとすると、
横に、誰もいません。
不思議に思い、見回すと、
みな、まだ僕の後ろを、「懸命に」走っています。
そのようなシチュエーションでは、
選択肢の一つとして、
誰かが追いつくまで、ボールを拾い上げた人が、そのまま突き進む、
というのがありました。
そのとき、僕は、そうしました。
誰かが、すぐに追いつくだろうと思い、そうしました。
そして、拾い上げた後に、
そのまま、ボールを抱えて、全力で走り続けました。
ところが、予想に反し、
誰も、僕に追いついて来ません。
結局、そのときは、
僕がゴール地点に着くまで、誰も、追いつくことがありませんでした。
ゴール地点で、みなを待つと、
みな、怪訝(けげん)そうな面持ちで、やって来ました。
「なんで、そんなに早く、走れたの?」
そう言われて、はじめて、
「自分が速く走ったのだ」ということを、認識しました。
みなが、わざと、ゆっくりと走ったのではなく、
僕が、速く走れたのだと、分かりました。
その日は、僕自身も、訳が分からず、
不思議な感じ、不思議な心地でしたが、
でも、ひとつ、はっきりとしていたのは、
「僕は、速く走れた」
ということでした。
そして、
その日以降、
「僕は、速く走ることができる」
という認識が、
僕の中に、生まれていました。
そして、
その日以降、
僕は、実際に、足が速くなりました。
その日を境に、
僕は、突如、足が速くなりました。
そして、その後ずっと、
僕は、足が速いままでした。
むしろ、ますます、
みなよりも、速くなって行きました ...
いま、ご紹介した、
僕の、「速く走れた」事例・出来事を、
今になって、
改めて、振り返り、見てみると、
当時、
少なくとも、その出来事が起きたとき(その日)には、
僕は、僕自身が、
「(自分は)足が遅い」
と思い込んでいたから、
遅かったのであって、
それが取り払われたら、
あるいは、
それが、「(自分は)足が速い」に書き換えられたら、
そのときから、
その日から、
その瞬間から、
「速く走れた(足が遅くなくなった)」
と、
見ることができると思います。
この見方は、
少なくとも、この事例において、
この見方をすることは、
さほど唐突で、不自然なものではなく、
それなりに、同意・納得される方も、多いのではないかと思います。
で、ここで、
はじめの、英語の事例です。
これについても、
さきほどの、「速く走れた」ときと同じ見方を、
当てはめてみましょう。
あるとき、突然に(あるいは、ある数日間で、急に)、
「英語が分かるようになった」。
この事例では、
先の見方をするならば、
「(自分は)英語は分からない」
という認識があったから、
英語が分からなかった、のであって、
「英語は分からない」という認識が、
そのときに、突然に(、何らかの理由・事情で)、
消えた・無くなった・取り払われた、ら、
そのときには、
英語が分かるようになっていた、
と、捉えることになると思います。
つまり、
「英語が分かるようになった」のは、
「英語が分かる」という「『能力』を『獲得した』から」
ではなく、
「英語が分からない」という「『認識・決め込み・制約条件』が『無くなった』から」
だ、
と、捉えます。
でも、そうですよね?
「英語を学ぶ」という行為(単語を覚えるとか、例文を覚えるとか)は、
ほとんど、あるいは全く、していないのですから。
それなのに、英語が分かるようになったのですから。
であれば、
「元々は、分かっている」のに、
「分からない」と認識することによって、分からない状態になっていた
と、
そう捉えるのが、
むしろ、そちらのほうが、自然ですよね。
確かに、
僕の、「速く走れた」事例においては、
その日までの、10ヶ月近くの日々の練習において、
「速く走れる『能力(・筋力など)』を『身につけていた』」と、
捉えることもできます。
そして、
それが、私たちにとっての、一般的認識(『常識』)でしょう。
「だから、早く走れたのだ」、と。
でも、
その日、自身の体験として、実体験をした僕の感覚だと、
「『能力』を『獲得』していた」という部分・認識、
そのものを、否定しは しませんが、
そして、それはそれで、そのとおりだと思いますが、
しかし、それは、その点は、
その出来事にとって、重要なポイントではありません。
だって、
僕自身の感覚では、
その日までの間だって、
懸命に、一生懸命に、がんばって、
速く走ろうと、していたのですから。
でも、
一切変わらずに、遅かったのですから。
いえ、
その日の、その一日の、
その瞬間までの間の、練習中だって、ずっと、
速く走ろうと懸命だったのに、
速く走れなかったんですから。
遅かったんですから。
それなのに、
その瞬間、その1回、
突然に、唐突に、
速く走れたのですから。
そして、それ以来、
一度、速く走れた、それ以降、
ずっと、速く走れたのですから ...
このように、
このような『見方』で、見ると、
私たちは、
「『できる』『能力』を持っていること」
「『できる』『能力』を『獲得』したこと」
については、できる・できるようになる
のではなく、
「『できない』という認識・決めつけ・思い込みを有していること」
が、できない
ということになります。
私たちは、
「そもそもは、『できない』存在」で、
その、「『できない』存在」が、
「『できる』『能力』を『獲得』したこと」についてのみ、できるようになる
のではなく、
私たちは、
「そもそもは、何でも『できる』存在」で、
その、「『できる』存在」が、
「『できない』と決めたこと」についてのみ、できないようになっていて、
なので、
「『できない』という決め込み」を無くしたことに関しては、
そもそものとおり、『できる』
ということになります。
これが、
ここでご紹介している『見方』であり、
これが、
「津留さん的な見方」であり、
そして、これが、
「『私たちは、そもそもは、神さまだった』という見方」です。
以前、
「 はじめに言葉ありき ( 宇宙を分つもの ) 」
という記事を書きました。
そこでは、
「はじまりは、『すべてがある』という『無』という状態だ」
ということを、
書かせていただきました。
そして、
今回の話も、同じ話、同じ見方です。
私たちは、
無数の『できない』ことのうち、
『できる』ようになったことだけ、できる。
そんな存在だ
と、
そう、認識することも、できます。
津留さんが、
『人間スタート』と呼んでいた、
そんな、見方です。
そして、それは、
赤ちゃんとして生まれ、
そこからの(その後しばらくしてからの)記憶が存在していて、
赤ちゃんとして、小さな子どもとして、
(ほとんど)何もできない状態で育ち、
その後、
徐々に、能力を高め、獲得し、
徐々に、できることが増えていった、
という過程を経てきていて、
そして、その過程を記憶し、
それをこそ『自分だ』と認識している、
そんな、私たち『人間』にとっては、
極めて当然の、当たり前な、見方・認識です。
一方、
今回ご紹介したような、
私たちは、
あらゆる・すべての『できる』ことのうち、
『できない』と決めたことについてだけ、できない。
そんな存在だ
そう、
認識することもできます。
津留さんが、
『神さまスタート』と呼んでいた、
「私たちは、そもそもは、神さまだった」のだ、という見方です。
この見方によれば、
『できる』ほうが、基準・標準です。
『できる』のが、そもそもです。
『できる』状態が、スタートです。
そして、
『できない』と決めたことだけが、できません。
「『できない』こと」の方にこそ、
工夫がなされています。
『努力』が加えられています。
『努力』して、『できない』ことに、できています。
『努力』して、『できない』状態になっています。
『努力』して、『できない』状態を『獲得』しています。
『努力』しているのは、
『獲得』しているのは、
「『できない』状態」の方、なのです。
この見方によれば、
私たちは、『人間』として生きているとき、
無数のことを、あるいは ほとんどのことを、
『できない』と、規定しています。
それによって、
「ほとんどのことを『できない』」人間、という存在になっています。
これをさらに、
津留さん的な見方で表現すれば、
私たちは、
この、『地球人間(体験)ゲーム』において、
「ほとんどのことを『できない』」と規定することによって、
「ほとんどのことを『できない』」人間というものを、体験できています。
すなわち、
「ほとんどのことを『できない』」『人間』というものを体験するために、
『自ら』、「ほとんどのことを『できない』」と、規定しています。
その規定を、
(個人的な認識は関係なく)人類全体(『集合意識』)として、しているのか、
あるいは、先祖がして、それをDNAとして受け継ぐことで、受け取っているのか、
あるいは、先祖・祖父母・親がして、それを価値観として、受け継いでいるのか、
それとも、自分自身の体験から、記憶し、決め込み・思い込んだのか、
それは、項目により、事情により、人により、違うでしょうが、
そして、だからこそ、
『人』それぞれに、できることと、できないことが、違うのでしょうが
(あるいは、「『人間全員・全体』ができないこと」が、あるのでしょうが)、
いずれにせよ、
このような見方においては、
私たちは、
ベースとしては、『できる』のであり、
特別に、わざわざ、『できない』と規定した項目だけが、
『できない』能力状態になっている、
と、捉えます
(アテネオリンピック ハンマー投げの金メダリスト、室伏広治氏が、
「生後4か月にして懸垂ができた」という、都市伝説も、
そんな見方から捉えると、すんなり受け入れられそうですね ^^ )。
なので、
本稿のタイトルの件、
「『できる』というのは、どういうことなのか?」
「『できるようになる』『できるようになった』というのは、
どういうことなのか?」
ということについてですが、
『できるようになる』
『できるようになった』
というのは、
もともと、『できる』ことだけれども、
それを、『できない』と規定することで、できない状態にしていたけれども、
その「『できない』との規定」を、取り外して、
元の、本来の、『できる』状態に戻した・戻った
ということ、に、なります。
それが、
「津留さん的な見方」
「私たちは、そもそもは、神さまだった」
「その神さまが、『地球人間(体験)ゲーム』をしている」
という見方、
に、なります。
ちなみに触れておくと、
その、
「『できない』との規定」を、取り外す
という行為が、
津留さん自身も行い、提唱し、推奨し、
また、今現在、私たちも個人セッションなどでお手伝いしている、
『浄化』ということ、そのものになります。
だからこそ、
津留さんは、
「『浄化』をしてください」
と、奨めていました ...
私たちは、これまで、
人類全体としては、
『人間スタート』の見方を、採用してきました
(『人類全体の意識(集合意識)』の合意のもと)。
だから、
『できない』が、標準値・当たり前であり、
そして、だからこそ、
『できる』『できるようになった』ことに、喜びを感じ、
そして、そこに、価値を見出してきました。
そこに、意識を向けてきました。
ですが、
今、ここで、
今後、これ以降、
「『できる』が、当たり前だ」と、
ちょっと、見方を、認識を、変えてみてください。
『できる』のは、
当たり前で、当然で、
特別ではなく、平凡で、凡庸で、
むしろ、退屈なくらい、ありふれた、つまらないことなのだ、と、
そんな認識を、かりそめに、持ってみてください。
その状況では、
『できない』こそが、
珍しく、ありがたく、非凡で、
そして、憧れであり、クールで、
だからこそ、そんな『できない』に、
努力して、工夫して、頑張って、
自主的に、意図的に、作為的に、望んで、なっているのだ、
そんな風に、仮定してみてください。
もし、そうだとしたら、
今、『できない』ことがあるのは、
失敗ですか、成功ですか?
能力が足りないから、『できない』のですか?
それとも、
能力があり、それが発揮されたからこそ、『できない』のですか??
こう、見ることができると、
津留さんが言っていた、
「すべては、それで、完璧です」
「それで、ベストです」
という言葉の意味を、
より抵抗なく受け入れることが、
より深く理解し、受け入れることが、
できるのではないかと思います。
このような見方、『仮定』、
みなさんのご参考になれば、幸いです。
2018年5月16日水曜日
『第8回 大阪イベント』を終えて
2018年5月11日(金)、12日(土)、13日(日)、
大阪で8回目となるイベントを、開催いたしました。
あぁ、もう、8回目になるんですねぇ ...
特に最近は、毎回、ご参加くださる方々もいらしてくださって、
なんか、
「会いに行く」
「遊びに行く」
感が、強くなってきましたが ^^; 、
いつも、このように、
大阪に伺えることを、とても嬉しく思っています。
今回は、
個人セッションに4名、
浄化ワークショップに3名、
交流会に11名、
計18名の方々に、
お越しいただき、
お会いすることができました。
会場(大阪市立此花区民ホール)は、
初めて使わせていただいた場所でしたが、
最寄り駅からのアクセスが抜群で(徒歩2分ほど?)、
内装は、比較的最近に改装されたみたいで、なかなかに綺麗で、
とても有り難い会場でした。
今後も、機会があれば、使わせていただきたいと思いました。
また、今回も、いつもと同様に、
イベントの後には、
京都に行って、
京都の「うさと店」に、伺ったのですが、
今回は、京都に行ってみると、なんと、
15日が、ちょうど、「葵祭」当日!
期せずして、葵祭を見ることができました。
各地でのイベントは、ほとんどのケースで、
「会場が借りられるかどうか?」から、
日程を決めているのですが、
今回の、「葵祭」といい、
前回の沖縄の、「清明」といい、
少なくとも、僕の「顕在意識」からすると『偶然』に、
そのような日に、各地に伺うことができて、
各地でのイベントを行うことで、
「起きてくる」ということを、
実体験させてもらっています。
それでは、
今回ご参加くださったみなさま、
ありがとうございました。
またお会いできる機会があると嬉しいです。
集合人編集局 ひで
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