2014年11月3日月曜日

『赦す』ということ


 「あいつのことだけは、赦(ゆる)せない」
 「それは、いいけど、でも、あれだけは、赦せない」

どなたでも、
そんな人が、そんなことが、
あるのではないでしょうか?

私たちは、
「意識的に」、であれ、
「無意識的に」、であれ、

それぞれが、
それぞれに、

 『赦せない』
ことを、
握り、抱えて、
生きていますよね。


ところで、
 『赦せない』
というものには、

通常、
2種類のものが、あると思います。


1つは、
 『赦そう』『赦したい』
そう、思っているけれど、

でも、
そんな想いとは裏腹に、
どうしても、
 『赦せない』。

そのようなものです。

そして、
そのようなものは、
先の言葉を使えば、
 「『無意識』的に、『赦せない』」もの
と、言えるかもしれません。

あくまでも、
 『赦そう』
と、思っています、
自分の『意識』『意思』としては。

でも、
 『赦せない』
のです。

自分の中の、『何か』が、
そう、させないのです。

自分の『意識』の想いとは、裏腹に、
どうしても、そう、できないのです。

それは、
哀しいほどに、
そう、できないのです。

そして、それは、
その、
 「自分の中の、『何か』」

すなわち、
 『エネルギーブロック』
が、
自分に、そうできないように、させているのであり、

ですから、その
 『エネルギーブロック』
を、
『浄化』すれば、
『浄化』できれば、

そう、できるようになります。

つまり、
 『赦せる』
ように、なります。

場合によっては、
それは、
簡単なことではない、かも、しれません。
平坦な道のりではない、かも、知れません。
短い道のりではない、かも、知れません。

しかし、
『浄化』さえ、できれば、
その『エネルギーブロック』を、手放すことさえ、できれば、

そのときには、
 『赦す』
ことが、できます。


一方、
もう1つ、
 『赦せない』
ケースが、あります。

それは、
先の言葉で言えば、
 「『意識』的に、『赦せない』」もの
と、言えると思います。

つまり、
 『赦さない』
と、決めているから、
 『赦せない』
と、いうものです。

つまり、
単純に、純粋に、
 「自分で、『赦さない』と決めている、決意している」
から、
 『赦せない』
と、いうものです。

なので、
この場合は、
 『赦せない』ではなく、『赦さない』
と、言い換えることができると思います。
 
 「あいつのことだけは、赦(ゆる)『さ』ない」
 「それは、いいけど、でも、あれだけは、赦『さ』ない」

そう、言い換えることができると思います。


 『赦さない』
理由は、
それぞれでしょう。

ですが、
それらは、
ほとんどのケースにおいて、
 「その理由は、『正当』である」
と、本人が思っている点で、
共通していることと、思います。

 「間違っているのは、あいつ」
 「おかしいのは、そっち」

 「だから、『赦さない』」

そんなケースが、
ほとんどだと、思います。

そして、

 「赦してほしければ、謝りなさい」
 「あっちが謝れば、赦してあげる」

そんな風に、お思いのことと、思います。


さて、
そのような場合に、
もし、その「『赦さない』こと」に関して、
『ストレス』が無いならば、いいのですが、

万が一、そのことに関して、
『ストレス』があった場合、

その場合、
その『ストレス』は、
どうやったら、解消されるでしょうか?

 「あぁ〜、頭に来る!
  でも、悪いのは、あっちだから、
  あっちが謝るまで、赦さない。
  あっちが謝ったら、赦してやる」

そんなとき、
どうやったら、この、
 「頭に来る」という『ストレス』
は、解消されるでしょうか?

それは、
おそらく、
 「相手が、謝ったとき」
でしょう。

 「相手が、謝れば、解消される」
でしょう。

ということは、
そのとき、もし、
 「相手が、謝らなければ、それは、解消されない」
と、いうことになります。

つまり、
 「自分の『ストレス』が、解消されるか、されないかは、
  相手が、謝るか、謝らないか、次第」
と、いうことになります。

つまり、
 「自分の『ストレス』は、相手次第」
と、いうことです。

 「あなたの、幸・不幸は、相手次第」
と、いうことです。

つまり、
そのとき、
あなたの幸せに関する『決定権』は、
『相手』にあります。

すなわち、
あなたは、
自分の、幸せに関する決定権を、
自分の意志で、
相手に、与えているのです。

 『赦さない』
ということによって、

あなたは、
相手に、
自分の、幸せに関する決定権を、
与えている、ということを意味します。

つまり、
あなたは、
自ら、
相手を、
 「自分の『神』にしている」
のです。

 『赦さない』
ということによって、

あなたは、
 「『自分が、自分の創造主である』ということを、放棄」
し、

そして、
自らの意思によって、
 「相手を、自分の『神』にしている」
のです。


他方、
 『赦す』
ということは、

それとは逆に、
 「自分の、幸・不幸は、自分次第」
という認識であり、
 「自分の、幸・不幸は、自分が決める」
という態度です。

 「自分が幸せであるかどうかに、相手は、関係ない」
のです。
 「自分が、自分が幸せであるかどうかを、決める」
のです。

そして、
実際、
『浄化』をすれば、
『エネルギーブロック』を手放せれば、

 「相手がどうであれ、
  自分は、『ストレス』を感じない」
という状態に、なります。

自分で、
自分の『不幸』を、
取り除くことができるのです。

そのとき、
あなたは、

あなたの人生における、パワーを、
自ら、手にしています。
自らの手に、取り戻しています。

そのとき、
あなたは、

 「自分が、自分の、『創造主』であり
  自分が、自分の、『救世主』である」
  
のです。


 『赦す』
というと、
なにか、
 「相手のために、してあげる行為」
のように、とらえがち、ですよね。

 「赦してあげなさい」
なんて、
親や教師や、社会から、
そう、言われ続けて来ましたもんね。

でも、
本当は、
それは、
 「自らが、自らのために、行う
  自分にとっての、『最高のギフト』」
なのです。