2018年9月7日金曜日

かりそめ、だけど本番

 
前回、
人生は旅行のようなもの
と、書きました。

そこで、お伝えしたかったことは、

 「津留さん的な見方をする場合には、
  『人生』あるいは『人間をする』というのは、
  旅行みたいなものだ、
  と、とらえていただくと、
  とても当てはまっていて、お分かりいただけやすいと思います」

ということです。

また、
そこでは、

津留さん的な見方・考え方・認識の、
その他のスピリチュアル的なメッセージとの違いや、
あるいは特徴のようなものも、
少し、まとめてみました。

以上の中で、
何かご参考にしていただけることがあると、嬉しいです。
 
 
さて、今回は、
その補足のようなものを、

一つ、
させてください。
 
 
 「人生は旅行のようなもの」

そう、認識したとき、

『人生』『人間をしている今』は、
「旅行中」です。

今の私たちは、
「旅先にいる旅人」です。

「旅」は、
やがて、いずれ、
終わりを迎え、

そのときには、
『家』に帰ります。

つまり、
「旅」とは、
一時的なものです。

『かりそめ』です。

今の状態も、
「永続」「永遠のもの」ではないし、

また、
今のこの存在(している『人間』という存在・状態)は、
「本質」では、ありません。
 
 
「そもそも」の、「元々」の、
場所だと、ものだと、

味わえないから、体験できないから、

今は、かりそめに、
この場所にいて、このものに成っている。

『人間をしている』『人間に成っている』存在としての、
今現在の私たちは、

「本質」からはかけ離れた、
仮の、かりそめの、状態になっている、

そんな存在です。
 
 
『人間』として生きていることに、
絶望を感じたり、
圧倒されてしまったり、
虚しさを感じたり、
あるいは、嫌悪を感じたり ...

そんなこと、
どなたでも、おありだと思います。

特に、
津留さんのメッセージがお好きな方は、
心優しい方が多く、
そして、自分を責めがちですから、

そんな、辛い思いをされてらっしゃる方、
多くいらっしゃることと思います。

そんなときには、

どうぞ、
 「これは『かりそめ』である」
ということを、
想ってみてください。

そんな考えを、見方を、
採用してみてください。
取り入れてみてください。

役立つことが、
少しでも、安らげることが、
あるのではないかと思います。
 
 
また、
しかし。

しかし同時に、

ここは、今の状態は、
かりそめではあるけれども、

しかし、同時に、
ここは、今は、「本番」です。
 
 
旅先は、
旅人という状態は、

かりそめの場所であり、
かりそめの状態だけれども、

しかし、それは、

想いを果たすために、
望んで、求めて、訪れている場所であり、

その場所でないと、その状態でないと、
できないことをするために、

そのために、わざわざ、
訪れている場所であり、状態です。

今が、
望んだ結果が得られている状態、

今が、
『本番』です。
 
 
ですから、

楽しいことは、
嬉しいことは、

遠慮なく、
楽しんで、満喫してください。

また、もし、
辛いことや、大変なことであっても、

どこかに客観的に見られる余裕があり、
どこかに冷静になれる部分があるようなら、

しっかりと、体験なさってくだい。

旅先の旅人として、
この本番を、
遠慮なく、存分に、味わってください。
 
 
 かりそめであり、
 でも、そうではあるけれども、しかし同時に、本番

そんな、
一見、相反するような、

そんな、
「どちらも」な状態が、

津留さん的な見方をしたときには、
矛盾なく、成立しています。

だからこそ、
「全てOK」です。
 
 
そして、ですから、

 「好ましくないことは、
  『かりそめ』と、重く受け止めず、気にかけず、
 
  でも、好ましいことは、
  『これぞ本番』として、存分に満喫する・味わう」

そんな都合の良さを、
ぜひ、取り入れてみてください。

遠慮なく、
活用してみてください。

それを、
ご自分に、許してください。


今、ここは、
かりそめであり、だけど、本番。